2020年
1月
15日
水
宮城県丸森支局からのフォトジャーナル
宮城県丸森支局のメンバー、太田蕗ちゃん(11才)から2019年のフォトジャーナルが届きました。
昨年10月の台風19号で大きな被害のあった丸森町筆甫地区。太田家のご家族は無事でしたが、田んぼなどは大きな被害が出たとのことです。
台風が来る前の夏の筆甫での生き物の様子や福島県の「相馬野馬追」を蕗ちゃんが写真と文章で伝えてくれています。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

私は7月25日の学校帰りにセミの幼虫が歩いているのを見つけました。幼虫が歩いているのは見たことがあったけど、成虫になるのは見たことがなかったので家に持ち帰り、虫かごで見守っていました。
26日の朝6時30分ぐらいから7時15分ぐらいで、「から」から出てきました。
どんどん出ていくところを見て虫のおもしろさをしりました。



私の兄と父と「相馬野馬追」に行きました。私は初めて見る競馬で、迫力があり、とてもワクワクしました。
旗をたてながら走るので、旗がなびく音がしました。
これが速さをもっと速く感じさせます。とても楽しかったです。
太田蕗 丸森支局 11才
2019年
11月
13日
水
自身とふるさとの今 岡道一平(3/11 キッズ フォト ジャーナルOB)
中学3年から高校3年まで3/11 Kids Photo Journal(以下KPJ)で活動した釜石支局の岡道一平君(23)は今夏、防災技術の開発に携わる企業のインターンを兵庫県尼崎市で受けました。2013年にKPJが発行した写真新聞を印刷した京都も訪れ、事務局スタッフに近況を報告してくれました。
中学3年で東日本大震災を経験し、KPJの活動で自身のふるさとでもある被災地を全国や世界に発信した岡道君は現在、工学部の大学院1年生です。震災を含むさまざまな経験を基に、就職活動でこれから歩む人生について考える年齢になりました。震災から8年がたちました。釜石はラグビーワールドカップの会場の一つに選ばれました。フィジーとウルグアイが熱戦を繰り広げた「釜石鵜住居復興スタジアム」は、岡道君の通っていた小中学校の跡地に建ちました。
自身とふるさとの今をOBとしてジャーナルにつづってくれました。岡道君が当時撮った写真とともにお届けします。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

KPJの活動を始めた頃の岡道君
お久しぶりです。KPJで活動していた、岡道一平です。僕が活動を始めたのは2011年春からで、震災からしばらくたってからのことでした。当時は中学3年生で、当然、大したことも考えられず、「何か被災地のためになるのならやってみよう」と単純な理由で始めました。何か皆さんに伝えられたのか。僕なんかが取り上げて何か誤解を招くようなことはなかったか、不快な思いをされた方がいたんじゃないか。KPJを卒業する際、やってきたことへの達成感とそんな不安が入り交じった感情だったことを覚えています。今でも被災地のことについて話すのは、誰かを嫌な気持ちにさせるかもしれないし、怒られるかもしれないし、触れるのは怖いことでありますが、最後のジャーナルから約5年が経ち、震災やKPJの活動、卒業時からの被災地の歩みなどについて、今の僕の目線からお話したいと思います。
まず、僕の中学校についてお話します。僕の地域は昔から何度も津波の被害にあってきました。そのため「津波てんでんこ」という地域の防災の教訓があります。「津波が来る際、誰かを待ったりせず、個々にバラバラに逃げろ」という意味です。私達はそのような教訓を始め、100年に1度の大津波に備え、避難訓練、防災学習を徹底し、実際に東日本大震災の際は、学校にいた生徒は全員助かり、近隣の小学生の避難にも貢献しました。「釜石の奇跡」と呼ばれています。
そんな実績があり、周りからそのような評価を頂いてはいますが、やはり震災前は普通に勉強し、普通に部活し、普通に友達と遊ぶ生活でした。そんな毎日が楽しく、続いて欲しかったと思っていたのが本音です。

通っていた箱崎小学校に飾っていた釜石市箱崎町の地図
震災があってからは、大きな中学校に間借りする形で学校生活が再開されました。たくさんの支援があり、色んな人の努力と協力があったことは百も承知です。本当に感謝しています。ただ、環境の急な変化で、大変なことがあったことも事実です。みんな何かストレスを抱えていたこと、前できていたことが出来ないこと。震災がなかったならと何度も思いました。KPJ1年目は自宅や思い出の場所を撮影し、その中にはもちろん中学校もありました。

津波が押し寄せた釜石東中学校
1年目以降も中学校を撮っていたと思います。今思えば、そんな中学生活があったからこそ、こだわっていたのかも知れません。中学校の跡地が今どうなっているのか。僕の写真だけ見ていたら瓦礫の山だったり、ただ土が盛られているだけの土地だと思われるかもしれません。

2019年
3月
12日
火
KPJの特別展示がGinza Sony Park(銀座ソニーパーク)で3月17日まで開催中です
Ginza Sony Park(銀座ソニーパーク)地下1階で「For the Next Generation 〜子どもたちが見た被災地の歩みとソニーの支援の取り組み〜」展が開催されています。
多くの方々が足を止めて、写真を、言葉を読んでくださっていました。
東日本大震災から8年。
キッズ記者も、社会人になったり、大学生になったりと成長をしています。
当時、そして成長していく中で子どもたちが何を思い、考えていたのか。
何を最も伝えたいと思い写真を撮り、言葉を綴ったのか。
ぜひ、じっくりと見て頂ければと思います。
会場には、発行された書籍や、写真新聞、写真手帳も置いてあります。
こちらもお手にとって見てください。
ソニーさんも、東北、熊本と現地の工場の被災を経験されています。
その当時の写真や、動画を記録して展示しています。
また、セーブ・ザ・チルドレンさんと継続している支援活動の紹介なども展示されていますので、併せてご覧頂ければと思います。
3月8日~3月17日まで
10時~20時
詳細はこちらです。
https://www.ginzasonypark.jp/release/20190306/
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局






2018年
5月
17日
木
宮城県丸森支局からのフォトジャーナル
宮城県丸森支局の新しいメンバー、太田蕗ちゃん(9才)から初めてのフォトジャーナルが届きました。
蕗ちゃんが暮らす丸森町筆甫は福島県と隣り合う山里です。
昔ながらのやり方でお味噌をつくる太田家の子どもたちは、自然とともに暮らしています。
これまでも蕗ちゃんのお兄さん、お姉さんの和馬くん、あま音さん、玄周くんがキッズ フォト ジャーナルに参加し、筆甫の暮らしや震災の影響などを伝えてくれました。3人に続いて、今回は蕗ちゃんがふるさとを撮り、キャプションをつけてくれました。 動物に心寄せる少女のジャーナルです。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

左側がリクです。私の大好きなリクです。歯も悪いし、耳も聞こえないけど、とても元気です。
16歳ぐらいです。
右側がクリです。大好きです。
もう目も見えないし、耳も聞こえなくて物にぶつかることが多くなりました。すぐに疲れてしまって散歩で遠くには行けません。
でもモグラ掘りだけは元気にすごく楽しそうにやっています。クリは17歳です。

家の中で捕まえたハツカネズミです。家の中で走りまわっていたのを父ちゃんが捕まえてかごに入れました。
ネズミは嫌われ者ですが、私は小さくてかわいいと思いみなさんに見せたいと思ったので撮りました。

うちの犬が持って来たイノシシの骨です。
震災後、福島県では人が少なくなって野生動物が増えたと言われています。
私の住む筆甫地区も福島県境なのでイノシシの被害が多くなりました。
骨の形がかっこいいと思ったので写真を撮りました。
太田蕗 丸森支局 9才
2017年
3月
10日
金
鈴木さん写真展 / 佐可野未来
みなさんこんにちは。Kids photo Journal (KPJ) OGの佐可野未来です。前回に引き続き、今日もブログを更新していきます!
今回は、3月4日から26日までREMINDERS PHOTOGRAPHY STORONGHOLD (RPS)ギャラリーにて「鈴木麻弓 写真展 The Restoration Will」を開催している宮城県女川町出身の鈴木麻弓さんにインタビューをしました。

◎ 震災のとき、どこで何をしていましたか?
結婚後、神奈川県の逗子に引っ越してきたので、地震は自宅のアパートで感じました。地震のことはTwitterで知り、震源が女川沖 M7.9という情報が流れてから、逗子もゆれ始め、水平に揺れ動くとても変な地震で、アパートが危ないのではないかと感じ、外に出ました。その時、震源からはるか500kmも離れているにもかかわらず、日本の多くの地点が揺れているという現実にこの地震は津波が来るだろうと思っていました。その後津波を知らせる情報が流れたため、女川に住んでいる親に電話をしましたが、やはり電話は繋がらず、ただ信じるばかりでした。その後、住んでいた地域は停電し、持っている携帯やラジオ、パソコンの充電が命でした。いつまで停電が続くかわからないため、現地の状況を知りたい気持ちを抑えながら、何時間かおきに情報を得ていました。情報を得ていく中で、仙台空港や平坦な田んぼを津波が襲う映像が流れてきたとき、あんなところまで津波が来てしまったのなら、女川は駄目だろうなと感じたことを覚えています。
◎ 震災後1番最初に女川へ行ったのはいつですか?
3月28日でした。姉が仙台に住んでいたので女川へ向かう前から女川の様子、両親が亡くなっていたことを聞きました。
姉がたくさんの避難所を周り、両親の行方を捜している中で、知人から知りえた事実などもあり、姉の方が辛かったかもしれないと思い、姉に感謝をして電話を切り、その日はたくさん泣きました。でも、泣いても現実は変わらないことを気づきました。私の場合はそれが早かったのかもしれません。 女川に行くにあたって、姉がいる仙台のスーパーはその当時開いていなく、姉のために必要な日用品や食料を持って向かいました。家があった場所に行くと、やはり現実が信じられませんでした。町の70%が破壊され、昔あったものがすべて消えてなくなってしまったのです。しかし、写真館の暗室の部分は残っていました。ここに写真館があったことを示しているように感じ、両親が「ここにいたんだよ」と言っている様な気がしました。

◎ なぜ写真を撮ろうと思ったのですか?
そもそも私は写真の大学に通うために、大学入学と共に女川を出ました。正直、女川は、田舎過ぎて好きではありませんでした。しかし、震災をきっかけに父が代々受け継いできた写真館を受け継ぎたいと思うようになりました。
写真館は、私の代で3代目となり、初代は祖父が1930年に大崎市から女川町にやって来て写真館を創業しました。祖父が開業して、3年後の1933年(昭和8年)に昭和三陸大津波があり、どれくらいの被害だったかは、祖父に直接尋ねたわけではないのでわからないのですが、災害を乗り越えて再開したことは確かです。そして、2代目の父が21歳で家業を継ぐと、今度は1960年(昭和35年)チリ地震津波が町を襲ったのです。海岸近くにあった写真館は、1階天井まで浸水しました。繰り返し地震と津波が起きる地域になぜ住み続けるのか。それは、地域の皆さんがお互いをそして何より女川を愛していたからだと思います。そして、自分の代で伝統を途切らすわけにはいかないという使命を強く感じていたからだとも考えられます。そんな思いを感じ、暗室に残っていた父のカメラとレンズを使って撮影しようと思いました。
◎ いまの女川はどのような町ですか?
いまの女川の復興町づくりは、いままでの女川に戻すのではなく、若者の意見を多く取り入れ、新しい町に変化しようとしています。意見を言うということは、それなりの責任を持つことにも繋がるため、多くの若者の意見を求めています。自分たちの手で作り上げた女川を大人になっても愛してもらえるような町にしてほしいです。いま女川で頑張っている皆さんは、とてもポジティブな方が多いです。震災をいい意味で女川が変化するチャンスだと捉え、いつ戻ってきても安心できるような街づくりのため、みんなで頑張っています。
鈴木さん、ご協力ありがとうございました。

今回、直接お話を聞いて、私はとても震災のことを思い出しました。震災を思い出すことが少なくなってきてるいま、このような写真展に出会えたことをとても嬉しく思います。鈴木さんの写真はどこか悲しく、でもどこか気持ちが落ち着くような写真が多いと私自身、写真展と写真集を見て感じました。是非皆さんにも直接写真展に足をお運びいただき、この気持ちを感じ取ってほしいです。
鈴木麻弓写真展 「The Restoration Will」
〒131-0032
東京都墨田区東向島2-38-5
2017年 3月4日(土) ~ 26日(日)
午後1時 ~ 7時まで
会期中無休 ・ 入場無料
*11日にはオープニングレセプションとアーティストトークが午後6時より開催されます。
皆様のお越しを心よりお待ちしております!!
KPJ 広報担当 佐可野未来
2017年
3月
10日
金
3月11日(土)TBS放送の番組告知 / 佐藤翔太(3/11 キッズ フォト ジャーナルOB)
3月11日(土)午後2時からTBSで放送される番組「3.11 7年目の真実」で、キッズ フォト ジャーナルの記者と元記者の3人が取材を受けました。
岩手県吉里吉里支局 小川留以さん(14)
岩手県赤前支局 佐可野未来さん(18)
宮城県気仙沼支局 佐藤翔太くん(20)
3人は2011年12月に同局で放送された「News 23x」でも取材を受けました。
3人がこれまでどのような道を歩んできたのか、今何を想い、何を願うのか。
番組をとおして多くのみなさまに伝わることを願っています。
是非ご覧ください。
番組詳細:
http://www.tbs.co.jp/tv/20170311_413C.html
取材を受けた3人のうちのひとり、3/11 Kids' Photo Journal ( KPJ ) のOBである佐藤翔太くんが、今回の取材を受けた後に文章を書いてくれました。震災の時に宮城県気仙沼市の中学生だった佐藤翔太くんは、お父さんと同じ寿司職人になるため、今は東京の寿司屋で修業しています。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局
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2月21日に今年の3月で震災から6年と言うことで、以前3/11 Kids' Photo Journalの活動を撮影したTBSの方たちが取材に来ました。寿司屋の営業前の準備の時間を利用して取材をしてもらいました。震災から6年間はどのように変わったかと聞かれ、すぐに答えることが出来ませんでした。
震災から3年目の3月には父親が亡くなったし、祖父も病気で倒れました。震災に遭っても無事だった家族がバラバラになっていく現実に涙を流したりしましたが、それももう3年前の話。すでに気持ちの整理も終わってます。東京に出てからは気仙沼の復興のためにという考えよりは、自分のこれからの人生をどうやって生きていくかを考えていたので、なんて答えればいいのかわからず、うまく答えることが出来ませんでした。
そんな自分に気づき、自分の中にあった気仙沼震災復興の気持ちが風化したように感じ悲しかったです。
ただ、自分も成人になりキッズじゃなくなり、言葉や文章で伝えるのでは無く行動に移して伝える立場に変わったんだと思いました。今はその準備期間。今は周りの人たちに理解されなくてもいつか同じ思いを持った人たちと出会えると信じて毎日やっていくしか無いと思います。それに気づくことが出来たので、取材を受けて良かったと思いました。
佐藤翔太(20)
2017年
3月
08日
水
TBS取材について / 佐可野未来(3/11 キッズ フォト ジャーナルOG)
みなさんこんにちは。3/11 Kids' Photo Journal ( KPJ ) OG の佐可野未来です。
今日から、KPJの広報担当として、ブログをあげていくことになりました。よろしくお願いいたします。
私のことを知っている方もいらっしゃるかもしれませんが、自己紹介をさせていただきます!
佐可野未来(18)岩手県盛岡市出身。小学校入学と共に宮古市赤前へ移住し、小学6年の時に震災を経験しました。
震災の津波で家は全壊、その後は母校の赤前小学校の校庭に建つ仮設住宅で中学高校の6年間を過ごしました。
KPJでは、中学1年から中学3年まで活動しました。高校を今年の3月に卒業し、現在は岩手から上京し、KPJでの活動を休止してからも趣味の1つであった、写真をもっと深く学び、生活に生かすため「3/11 Kids' Photo Journal」代表の後藤さんの元でインターンをしています。
今回私は、「震災特番報道インタビューから5年後のいま」ということでTBSのほうからインタビューを受けました。
最初この話をいただいたとき、私には不安な気持ちが出てきました。その理由は、5年前と比べて毎日震災を考える回数が減ったこと、いま私の口から何を伝えられるかがわからなかったからです。そんな私の様子を見かねたTBSの方が「いつもどおりで大丈夫だよ」と笑顔でお声をかけてくださったおかげで私らしく気楽にインタビューに臨むことができました。
私自身、5年前インタビューを受けたことをあまりはっきりと覚えていません。しかしTBSの方は私のことを覚えていてくださり、「大きくなったね」や「大人になったね」と仰ってくださいました。家族でもない自分のことをしっかりと覚えてくださっていることが赤前の地域のコミュニティを私に思い出させてくれました。
インタビューは、2ヶ月ほど前まで住んでいた赤前小学校の校庭で行われました。私自身もう駅の周辺に引っ越してしまったので、赤前に行くのは、おばあちゃんの家に行く時くらいの頻度になっていました。
私が2ヶ月ほど前まで住んでいた仮設住宅はすでに取り壊され、そこには5年前までの当たり前の光景がありました。
しかし、その光景に私は違和感を感じてしまうのです。そんな気持ちになるたび、私の心はなぜか罪悪感でいっぱいになります。
小学生のころよく遊び、私が大好きだった校庭をいまの小学生に与えることができなかった悔しさも同時に沸いてきます。
仕方がないことだけれど悔しい。とてももどかしい気持ちになったのが本音です。
インタビューでは最近見ることも少なくなった赤前の海を見て「嫌いだけど好き」という感情が浮かんできました。
わたしたちのすべてを奪い大切なものを壊した海。とても憎い。だけれどずっと赤前で過ごしてきたからこそ海を嫌いにもなれないのです。ではなぜ嫌いになれないのか。それは海のある生活が当たり前だったから、私たちの誇りだったからだと思います。
奪われてしまったものや無くしてしまったものは、もう戻ってこなくて、帰ってくることも無い。その現実がとても悔しいです。
だけど、私の中で赤前の海が誇りであることは変わっていません。私の青春時代はすべてあの校庭に詰まっています。
今回のインタビューを通して、大切なもの、これからもずっと大切にしたいものを思い出すことができました。
そして、私への取材はもうひとつ。高校の卒業式にも密着していただきました。私の高校の卒業式にカメラが入ることなんてなかなか無いのでとても恥ずかしく、貴重な経験をさせていただきました。だいすきな友達、先生、そして家族との別れはとても寂しいものです。また、私は3月3日には上京する予定だったのでみんなよりも早く地元を離れなくてはならず、ますます悲しさでいっぱいでした。3年間辛いことも楽しいこともたくさんありました。だけれど私はこの高校生活で私らしさや個性を光らせることができたと思います。いま、この文章を書いている場所は東京。岩手の食材を街で見かけると嬉しくなったり、誇らしくなったりもします。いま私は幸せです。人生は一度きり。たくさんのことに挑戦し私らしく生きていきたいです。
佐可野未来(18) 3/11 キッズ フォト ジャーナル 広報担当
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局より:
3月11日(土)午後2時からTBSで放送される番組「3.11 7年目の真実」の中で、佐可野未来さんをはじめとしたキッズ フォト ジャーナルの記者と元記者の3人が取り上げられます。是非ご覧ください。
http://www.tbs.co.jp/tv/20170311_413C.html
2017年
3月
07日
火
3月11日(土)TBS放送の番組告知 / 吉里吉里支局 小川留以
3月11日(土)午後2時からTBSで放送される番組「3.11 7年目の真実」で、キッズ フォト ジャーナルの記者と元記者の3人が取材を受けました。
岩手県吉里吉里支局 小川留以さん(14)
岩手県赤前支局 佐可野未来さん(18)
宮城県気仙沼支局 佐藤翔太さん(20)
3人は2011年12月に同局で放送された「News 23x」でも取材を受けました。
3人がこれまでどのような道を歩んできたのか、今何を想い、何を願うのか。
番組をとおして多くのみなさまに伝わることを願っています。
是非ご覧ください。
番組詳細:
http://www.tbs.co.jp/tv/20170311_413C.html
取材を受けた3人のうちのひとり、岩手県大槌町のJR山田線吉里吉里駅近くに暮らす小川留以さん(14)はキッズ フォト ジャーナルの活動で吉里吉里駅を撮り続けてきました。
山田線(宮古ー釜石間)は津波で橋などが壊れ、今、復旧工事が進んでいます。
今年2月に取材を受けた際に留以上さんが撮影した写真と、その後に書いた文章を紹介します。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

2月18日に久しぶりに線路を見た。
それはTBSの取材があったからだ。
すごく緊張した。
線路は工事されていてあのさびた線路がきれいになっていた。
31年に復旧するそうです。
汽車が通るとどこへでもいけるようになって生活が便利になるといいなと思います。
小川留以 吉里吉里支局 14才
2016年
11月
02日
水
2016年夏の活動 第一日目 ③ (番外編)
8月6日夕方石巻を離れたKPJ号は、翌朝からの岩手県での活動に向けて北上を続けました。
途中気仙沼市に立ち寄り、高校卒業まで3/11 キッズ フォト ジャーナルの活動を続けた佐藤翔太くんのお母さんが営む「たに口」で夕食をとりました。
太陽のような女将さん、佐藤良子さんにお会いするのが一番の目的でした。
女将さんとのお話をとおして、翔太くんが引き続き東京で夢に向かって充実した日々を送っていることもわかり、うれしい時間となりました。
また来春地元の高校を卒業する翔太君の妹さんとも再会し、将来の目標や卒業後の進路に関する話も伺ってこちらまでワクワクしてきました。
現在は家庭料理の店として営業している「たに口」、もとは夫婦で気仙沼市河原田ですし店を営んでいましたが、東日本大震災でその店が流されてしまいました。
新町に店を再建した一年半後の2014年冬、今度は親方である夫を亡くすという更に大きな悲しみにおそわれました。
その後休業期間を乗り越え、家庭料理の店として再出発し現在に至ります。
気仙沼に行かれる機会があれば、地元の家庭料理が味わえる「たに口」に是非お立ち寄りください。
写真のとおり明るく美しい女将さんが目印です!
「たに口」
所在地: 〒988-0071 宮城県気仙沼市新町6-5
電話番号:0226-21-3038
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

太陽のような「たに口」の女将さん、佐藤良子さん。
2016年
9月
04日
日
2016年夏の活動 第一日目 ② (石巻支局)
8月6日午後、福島の菅野大輝くんとの活動を終え、今度は宮城県へ向かいました。
石巻支局の只野哲也くんに会いに行ってきました。
一年ぶりに会う哲也くんは現在高校2年生、柔道部員として日々練習に励んでいるだけあって、ますます大きくしっかりした
体つきになっていました。
哲也くんは私たちに、柔道中心の高校生活に集中するために3/11 キッズ フォト ジャーナルの活動を卒業したいと話して
くれました。
柔道の話をしていて、日々の厳しい練習に真摯に向き合う哲也くんがさらっと口にしたことがとても印象的でした。
「練習はきついけど「明日も練習がある、いやだなぁ」と思いながら練習するのと、「絶対うまくなるんだ」という気持ちを
強く持ちながら練習するのとでは、結果が全く違ってくると思う。」
柔道のみならず、何に対してもこういった強い気持ちで取り組む人間なんだということを、改めて感じた瞬間でした。
哲也くんはこれまで空や自然の写真を撮ってきました。
写真に対する哲也くんの気持ちがとてもよくわかる動画があるので、紹介します。
2013年に3/11 キッズ フォト ジャーナルの写真展を開催した際、みなさまへのメッセージを語ってくれた時のものです。
今回のブログにアップしている、写真新聞宮城版の表紙にも使われたこの写真を撮影した時のこと、一瞬を切りとるということ
を自分のことばで語っています。
https://www.facebook.com/KidsPhotoJournal/videos
(上記URLの動画で本人が話したことばの一部)
「自分は主に空とか自然の写真を撮ります。なぜかというと、人はいつでも撮れるし、いつでもいろんな表情してって言えば
してもらえるから。
でも自然はこの表情してって言ってもしてもらえないから、その一瞬一瞬もう「これだ!」っていうものを撮っている。
プロの人が撮った写真なんかで後からよくよく見ると「ああ、なるほど」と思うような写真があるけど、俺の場合は子どもでも
大人でも本当に誰でもがひと目見て「おお」ってくるような写真を撮りたいって思っていて、それで今がんばってます。
(宮城県の)自分だけじゃなくて、福島だったり岩手だったりの子どもたちが撮っている写真もあります。
自分のふるさとを撮っている、一つ一つがかけがえのない一枚の写真なので是非見て下さい。」
3/11 キッズ フォト ジャーナル発足当初から活動を継続してきた哲也くん、これまでどうもありがとう、そしてお疲れ様でした。
哲也くんの柔道中心の高校生活を心から応援しています。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

向き合う / Face to Face (October 1, 2012)
2016年
8月
10日
水
2016年夏の活動 第一日目(飯舘村支局)
子どもたちは夏休み真っ只中です。
8月最初の週末、3/11 キッズ フォト ジャーナルは福島県、宮城県、岩手県のキッズ記者たちに会いに行ってきました。
久しぶりに会うキッズ記者たちの更なる成長を目の当たりにした、とてもたいせつな時間になりました。
活動一日目の8月6日、朝一番で福島市の菅野大輝くんと待ち合わせ、大輝くんの故郷である飯舘村へ向かいました。
大輝くんはこの春高校卒業と同時に3/11 キッズ フォト ジャーナルの活動も終了しましたが、その後も一人で故郷の写真
を撮り続けています。
政府は全域に避難指示が出ている飯舘村に対し、放射線量が高い期間困難地域を除き、来年3月31日に指示を解除する方針
を示しました。
大輝くんのおじいさんとおばあさんは、来春から飯舘村で生活できるよう、片づけや準備で忙しくしているそうです。
この日も、おじいさんは早朝から飯舘村の家で作業をしていました。
大輝くんはおじいさんの自宅前でのセルフポートレートや近所の風景などを撮影しました。
今も除染作業が続く飯舘村では、この日も作業用のトラック、作業員の方々、そして汚染土などを詰めたフレコンバッグが
多く見られました。
いずれ大輝くんからこの日に自身が撮った写真を基にした記事が届いたら、ブログにアップいたしますのでどうぞお楽しみに。
3/11 キッズ フォト ジャーナル

おじいさんと自分のセルフポートレート撮影の準備をする大輝くん。二人の写真家のアドバイスを聞きながら。

セルフポートレートの位置を確認中。

シャッターを押したら予め設定した所定位置へ移動。こんな時も大輝くんは落ち着いていて、決して走ったりしません。

飯舘村のおじいさんの家にて。おじいさん手作りの掘りごたつ。

家の裏山に祀られている氏神様を撮影する大輝くん。
2016年
7月
17日
日
2016年7月17日 飯舘村支局からのフォトジャーナル
福島県飯舘村支局の菅野大輝君から来春、「避難解除」という大きな節目を迎える故郷の今を伝えるフォトストーリーが届きました。菅野君は高校卒業後も故郷の写真を撮り続けています。
大輝くんの「震災から5年目を迎えて」も合わせてお読み下さい。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局
飯舘村は来年の3月に避難解除する予定です。家の裏山の除染は今回で2回目です。1回の除染では放射線量が下がらず、2回除染をやりました。 いわゆるホットスポットと呼ばれる所を重点的に除染しているそうです。祖父、祖母は帰ってきて生活出来るように、準備、片付けなどを行っています。
写真と文:飯舘村支局 菅野大輝 18才






現在も比曽地区では除染作業は続いています。 しかし、村内には、フレコンバックが至るところに山積みになっています。 除染が終わってから フレコンバックを仮置き場に運びますが、未だに線量が1マイクロシーベルト/時間を越える場所が至るところにあります。 これでは、若い人たちが線量を気にして村に戻らない気がします。
写真と文:飯舘村支局 菅野大輝 18才

2016年
6月
05日
日
2016年春 赤前支局より Vol. 2
宮古市赤前支局の佐可野未来さん、瞬大君から震災から5年をテーマに取り組んだ作文と写真が届きました。
2回目は瞬大君のフォトジャーナルです。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局


震災から5年たって、赤前の堤防はすごく変わりました。
従来の堤防よりもさらに高く、強い堤防づくりが始まりました。
この堤防がいつできるかは分かりませんが、次に災害が起こってもきっと守ってくれると思います。



僕がこの活動を始めたころから撮り続けている野球場は、5年たってもあまり変化がありません。
しかし、変化はしていないけれど、野球場の中の自然はしっかり変化しています。
5年間この場所を撮りつづけてきて、建物だけではなく自然も復興してきているということを知ることができました。
「震災から5年たって思うこと」
東日本大震災から5年がたちました。
5年という年月は長いようで短い5年でもありました。
それは、5年たった今でも赤前はあまり変化していないと思うからです。
しかし、震災当時は、ガレキがさんらんしていたり、堤防が破壊されていたりしたけど、今は、
また新しく堤防がつくられています。
僕が活動を始めた時から撮り続けている野球場は、再建が決まったものの、いっこうに工事が
始まる気配がありません。
震災から5年がたって思うこと、それは、5年たった今でも被災地では変わらないものがまだ
たくさんあるということです。
僕には、何をもって復興したというのかは分かりませんが、被災地の景色が変わらないかぎりは
復興したとは言いきれないと思います。
オリンピックの事にお金を回すのも良いけれど、政府の人達には被災地の人たちの事も忘れないで
いてほしいです。
赤前支局 佐可野瞬大 15才
2016年
5月
14日
土
2016年春 赤前支局より
宮古市赤前支局の佐可野未来さん、瞬大君から震災から5年をテーマに取り組んだ作文と写真が届きました。
2回に分けて紹介します。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局
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「5年経って思うこと」
宮古水産高校3年 佐可野 未来
震災から丸5年。
3月11日が近づくと毎日のように聞くこの言葉。
ニュースや新聞などでは5年間の復興の歩みなどを多く書いていることが多い。
さぁ、5年経った今、私たちも大人に近づく年齢になった。
あの時小学生だった自分も今じゃ高校3年。
あと1年で社会人とも言える歳になる。
最近私は、自分の将来について考えることが多い。
県外、主に関東方面で生活していきたいと考えている私は、慣れない土地で何が起こっても
臨機応変に対応できるように、つねに防災対策はしっかり行いたいと思っている。
しかし、そう思えるのはやはりあの震災があったからこそなのではないかと私は思う。
いつも通りの暮らし、平凡な暮らし、、、その生活が当たり前だと感じるのが一番怖い。
私はどの土地に行ってもこの経験を生かして生きていけるような大人になりたい。
2016年
4月
23日
土
2016年3月11日 丸森支局からのフォトジャーナル Vol. 2
宮城県丸森支局の太田玄周くん(11才)からフォトジャーナルが届きました。
震災から5年目の3月11日に撮影した写真と共に今の気持ちを綴りました。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局



5年目の3月11日です。学校の下校中の道です。スイセンが咲いていました。
震災の時は、まだ小学校へ入学する少し前でしたが、もうすぐ6年生になります。
原発事故はありましたが、ふるさとの景色は変わりません。
太田玄周 丸森支局 11才
2016年
4月
13日
水
2016年3月11日 丸森支局からのフォトジャーナル Vol. 1
宮城県丸森支局の太田和馬くん(15才)からフォトジャーナルが届きました。
この春、高校進学で大きく環境が変わる和馬くん。震災から5年が過ぎての思いをつづってくれました。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局
震災から5年たって
太田和馬
5年たって僕には大きく変わったことが多くある。中学生になって、あっと言う間に高校受験が終わった。
5年の間には色々なことがあった。好きな女の子ができた。その子と付き合い始めてから半年ちょっとになる。
町内唯一の中学校に別々の小学校から入学して、偶然クラスが三年間一緒だった。
大熊町から原発事故によって避難してきた子だ。
僕は東日本大震災によって失ったものはほとんどない。だから僕には彼女がどういう思いで毎日を送っているのかは分からない。
でも、今いる場所、生まれ育った故郷には二度と戻れなくなったら。しかも突然に。一週間離れただけで懐かしくなるこの町を、
永遠といっていいほど失う。その恐ろしさや悲しみを、僕たちは多分まだ知らない。
みんなが故郷に還れるまでが震災だ。
誰も震災をまだ終わりとしてはいけない。

輝くススキ

屋根にて 一羽だけの鳥が空を広々と飛んでいる

震災から5年がたった今も、何も変わらない朝日が昇った
太田和馬 丸森支局 15才
2016年
4月
05日
火
2016年3月11日 飯舘村支局からのフォトジャーナル
福島県の飯館村支局の菅野大輝君(18)は、5年が過ぎても福島第1原発事故の影響で人が暮らせなくなった故郷のことをつづってくれました。
菅野君は高校を卒業し、警察学校に入校するため、KPJの活動に一区切りをつけます。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局


震災から5年目を迎えて
菅野大輝
2016年3月11日の東日本大震災から5年目を迎えました。
節目の年と言われますが除染作業が終わらず私たちにとっては、節目の年は関係ありません。
飯舘村、除染作業が終われば、来年の春に帰村宣言をして避難解除する見込みです。
当時中学一年生でした。昨年高校三年生となり、今年の春に卒業しました。
除染作業も少しずつ進み、現在は村内のあちこちにフレキシブルコンテナバック(フレコンバック)が山積みとなっています。
今年一年で除染作業を終わらせ来年の春に避難を解除する見込みです。
除染が終わっていないのに、一年以内にフレコンバックを片付けることができるのでしょうか?
またはフレコンバックに入った除染廃棄物と共に生活をしていかなくてはならないのでしょうか?
また震災当時山の中で生活していた動物たちが、里に下りてきて、人間が植えていた花や野菜を食べて生活しているのです。
人間が近づいても逃げないのです。
聞いた話ですが、「イノシシが主(あるじ)で私たちがお客さんだ」と言っていました。
この5年間でかなり環境が変わってしまったと思っています。
これから地元へ帰るとなるとまだまだたくさんの課題が残っています。





飯舘村支局 菅野大輝 18才
2016年
3月
28日
月
2016年3月11日 吉里吉里支局からのフォトジャーナル
岩手県吉里吉里支局の小川留以さん(13)が、フォトジャーナルを送ってくれました。
活動一年目の2011年から線路を撮り続けてきた留以さん、今回も吉里吉里駅で撮った線路、身近な人の写真や
作文をとおして吉里吉里の今を伝えます。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局
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5年経って思うこと
小川留以
震災から5年は、すごく早く感じました。
あの時、私は小学2年生でした。
ひいおばあちゃんが流され、4月には妹が生まれました。
今は中学生になって、盛り土がすすみ、家を建てる人も増えてきました。
でもまだ汽車は走らない。
平成30年には汽車が走る予定だそうです。
それを楽しみに過ごしていこうと思います。

越田さん
震災で旦那さん、家を流されました。
これからどうやって生活していくか悩んでいた。
今は、家と店を建て、震災前の仕事とは別の動物のトリマーをしています。
動物とふれあっていることに生き甲斐を見つけたと話していました。

今までも、線路を撮ってきた。
私は一度しか汽車に乗ったことがないので、また乗りたい。
汽車が通ることで、復興が感じられると思う。
吉里吉里支局 小川留以 13才
2016年
3月
21日
月
2016年3月11日 福島支局からのフォトジャーナル
福島支局の丹治那月君(12)から最後のジャーナルが届きました。
活動を始めた時、小学生だった那月君も中学生になり、部活や勉強が忙しくなるため、今年度でKPJを卒業します。
これまで家族をまっすぐと見つめたブログを発信してくれました。
最後のジャーナルも那月君らしい温かなものです。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局


この写真は、ぼくのおじいちゃんとおばあちゃんが経営している「風と木」という、カフェギャラリーです。
この店では、震災の二年後に井戸をほりました。震災のとき、水道がとまってたいへんくろうしたそうです。

これは、風と木で出しているカレーです。一時期メニューから消えていましたが、二月ごろから復活しました。
このカレーはおじいちゃんが作っています。震災前のように、メニューがふえていってほしいです。

この写真は、風と木を経営しているおじいちゃんとおばあちゃんです。
しん災は、たいへんだったけど家族のことを考えるきっかけになったし、ほうしゃのうを自分で測ったり自分で決める生き方になったといっていました。
これからも、元気でいてほしいです。
福島支局 丹治那月 12才
2016年
3月
12日
土
2016年3月11日 赤前支局からのフォトジャーナル
赤前支局の佐可野未来さん(17)が3月11日に合わせ、最近撮った写真を送ってくれました。
震災から5年、今の気持ちを綴りました。
KPJでは3月11日までに子どもたちが撮影した写真を随時アップする予定です。
速報として未来さんの記事をお届けします。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

これは仮設住宅です。
数年前まではこの通りをたくさんの人たちが歩いていたのですが
今では閑散としています。
これが復興というものでしょうか?
取り残された私たちはとても悲しく思えてきてしまいます。

仮設住宅と自分の影
少しでも赤前にいる自分を残したくて
撮影しました。
1人は寂しいです、ちっぽけです。

赤前に差し込む光
お日様は毎日のように私たちを照らしてくれます。
この光をどのように利用するか、
それは私たち次第です。

青空と仮設住宅
私たちの気持ちを晴らすくらいの青空です。
震災から5年。
あと一歩。なかなか難しいです。

仮設の集会所
みんなの賑わう集会所も
今は誰1人いませんでした。
この場所に来るだけで地域の皆さんの笑い声がよみがえります。
赤前支局 佐可野未来 17才
2016年
1月
15日
金
2016年1月 福島支局からのフォトジャーナル
福島支局の丹治那月君から冬休みのリポートが届きました。
愛知県のおじいちゃんおばあちゃんの家に帰省したり、福島のおじいちゃんと過ごしたりしたことを記事にしてくれました。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

これは、冬休みに愛知に帰った時の昔の野球の仲間と一緒に撮った写真です。
震災があって、おじいちゃんやおばあちゃんのいる愛知に避難した時にこの仲間たちと、野球をしていました。
今は福島に帰ってきたので一年間に一、二回しか会うことができなくなりました。
これからも愛知にいる仲間を大切にしていきたいです。

この写真は、愛知のおばあちゃんの家で育てているレモンの写真です。
木にいっぱい実っていたのですごいと思いました。おばあちゃんとレモンを収穫できて嬉しかったです。
カゴいっぱいに採れて良かったです。

この芋の写真は福島に帰ってきた後に、おじいちゃんと一緒にほったイモです。
何本かあって一本だけ残していました。その一本を僕とほりたいと思って残していました。
ほり始めて最初の方は、小さないもしか出てこなかったけどそのあと面白い形をしたイモが出てきました。
タコみたいにもイカみたいにも見えました。
おじいちゃんとイモをほれて良かったです。
福島支局 丹治那月 12才
2015年
10月
24日
土
福島支局からのフォトレポート 第4弾
福島支局、第4弾のレポートは丹治那月くん(12才)が夏の活動を報告してくれています。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

この写真は、夏休み前にうえたゴーヤです。
夏休みは日ざしが強いからお父さんがみどりのカーテンを作ろうということでいっしょにうえました。
ほかにもキュウリやオクラをうえています。
キュウリはもうかれてしまいましたが、オクラはすごく大きくなって、食べたらとてもおいしかったです。
キュウリも食べたかったです。

これは、7月30日におじいちゃんとおばあちゃんの畑にいったときの写真です。KPJの活動で畑に写真を撮りにいきました。
おじいちゃんの畑には、さといもやモロッコインゲンなどたくさんの作物がありました。
ゆみさんがぼくのおばあちゃんに案内されて畑をまわっていました。
そのあとゆみさんにきいてみると、「今年はモロッコインゲンのできがいちばんいいらしい。それと、今年の期待の星の雲南百薬(オカワカメ)という食物がある」ということでした。
そして、ぼくが夏休みにおじいさんの畑のじゃがいもをほったところには、ハクサイと、大根をうえるといっていました。
福島支局 丹治那月 12才
2015年
10月
20日
火
福島支局からのフォトレポート 第3弾
第3弾は、丹治那月くん(12才)が日々の生活の様子を報告してくれています。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

この写真は、ぼくの6月の誕生日のときにとった写真です。
夕飯をたべたあと、ケーキといっしょに食べました。
このけむりはアイスについていたドライアイスを水にいれたらなりました。
ぼくはこのときで12才になりました。「もう6年生か。はやいなぁ」と感じました。

これは、夏休みの始めにお父さんと那須にいったときとった写真です。
那須にある文化ホールのホールボディカウンター室に行って人形を作りました。
ホールボディカウンターとは、体内にある放射線をはかる機械のことです。
ぼくは頭の部分を作りました。とてもかたくてハンマーをつかったりしました。
すごくむずかしい所もあったけどちゃんとできました。
そのあと、みんなが作った部分を組み合わせていすにのせました。

福島支局 丹治那月 12才
2015年
10月
16日
金
福島支局からのフォトレポート 第2弾
福島支局の丹治基規くん(14才)の写真レポート第2弾、家庭菜園の成長を伝えてくれています。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局
この畑は祖父母がやっていて、震災以後の畑は除染で表土5cmを削ってしまったのでなかなか育たなかったそうです。

写真の苗は5月ごろのじゃがいもです。7月に弟がほりおこし、じゃがバタにして食べたそうです。

写真は畑に栄養がついてきて野菜が大きく育った7月ごろの写真です。ここでは、トマト、モロッコインゲンなどたくさん植えられています。
福島支局 丹治基規 14才
2015年
10月
09日
金
福島支局からのフォトレポート 第1弾
福島県福島支局の丹治基規くん・那月くん兄弟から写真レポートが届いています。まずは第1弾として、ふたりのご祖母様が営むカフェギャラリー「風と木」が参加したイベントを取材した基規くんの記事をご覧下さい。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

7月12日にあづま運動公園で行われた「FOR座REST 2015」というイベントに福島市の丹治智恵子さん(68)のカフェギャラリー「風と木」が出店した。同店では笹寿司や薫製セットなどを販売した。
このイベントは森の中で音楽を楽しむため2006年からはじまったが、2011年の震災以降は中止されていた。今年5年ぶりに復活し、ライブの他に約40店が参加し、多くの人でにぎわった。

福島支局 丹治基規 14才
2015年
9月
01日
火
2015年夏 丸森支局からのフォトジャーナル Vol.3
宮城県丸森支局 太田玄周くん(10才)のフォトジャーナル、前半に続き後半をご紹介します。
玄周くんのふるさとの様子を伝えてくれました。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

これは、去年の8月の太極拳の練習の時の写真です。
朝、練習をしていたので、旧筆甫中の2階から撮りました。
この日はとても気持ちの良い日でした。

これは中学校のスロープを作っている写真です。
筆甫の人が、そのつ森のためにボランティアで作ってくれました。
今は、スロープを使っています。

これ(上の写真)は、ぼくの家近くで木を切ったのを積んだ写真です。
この木は杉の木です。
ここ(下の写真)から切られた杉の木です。
筆甫で林業を営んでいる人が切りました。
なにに使われるかわからないけど、だからこんど林業を営んでいる人に聞きたい。
太田玄周 丸森支局 10才

太田玄周 丸森支局 10才
2015年
8月
30日
日
2015年夏 丸森支局からのフォトジャーナル Vol.2
宮城県丸森支局の太田玄周くん(10才)からフォトジャーナルが届きました。
玄周くんが撮りためていたふるさとの写真にキャプションをつけてくれました。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

これは家族全員で田植えをしている写真です。
この日は一日中田植えをしていました。
ぶよがたくさんいて大変でした。

これは学校の行事で田植えをしている写真です。
この行事は父と母が立ち上げました。
この田んぼで植えた米は筆甫の行事のもちつき大会につかわれます。


これは家の近くの木を筆甫の林業者が切っている写真です。
毎日木が倒れる音がしていました。
日当たりがよくなりました。
太田玄周 丸森支局 10才
2015年
8月
29日
土
2015年夏 丸森支局からのフォトジャーナル Vol.1
宮城県丸森支局の新しいメンバー、太田和馬くん(14才)から初めてのフォトジャーナルが届きました。
活動に参加するにあたり「日常の写真を撮り、それについて感じた事を書いていきたいと思います。」と
話してくれた和馬くん、すでに撮影していたたくさんの写真の中から、自分が気にいったものを3枚選んで
キャプションをつけました。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

photo by ©Kazuma Ota /Miyagi/311 Kids' Photo Journal
この辺りでは見かけない、白い鳩。
どこから飛んできたのだろう。
僕らの町「丸森」にようこそ。

photo by ©Kazuma Ota /Miyagi/311 Kids' Photo Journal
僕の家の庭にちゃっかり不法侵入している猫。
ノンビリ日向ぼっこをしておられるが、
その庭に暮らしてた鶏は君の友達が食べたんだぞ。

photo by ©Kazuma Ota /Miyagi/311 Kids' Photo Journal
近くに紫陽花が咲いた。
今年は雨が少なかったけれども
無事綺麗に咲いてよかったね。
太田和馬 丸森支局 14才
2015年
8月
27日
木
2015年夏の活動第一弾 報告③ in 丸森町筆甫
2015年夏の活動二日目の7月29日は、宮城県伊具郡の丸森支局へ向かいました。
丸森支局ではこれまで、太田あま音さん(12才)と弟の玄周くん(10才)が姉弟で活動していましたが、この春中学生になったあま音さんは学校生活に集中するため3/11 キッズ フォト ジャーナルを卒業することに決めました。
文章が得意なあま音さんと写真が得意な玄周くんが協力し、それぞれが得意な役割を担当して姉弟で一つの写真記事を仕上げることが多かったのですが、昨年の夏に都内で開催されたウェブベルマークさん主催のイベント参加時は自分一人で写真記事を作成し、大勢の来場者の前で発表してくれました。
いつも写真と文章で豊かな表現力を発揮していたあま音さんですが、彼女の持つ「声」のちからにも驚かされました。
彼女の声を聞いていると、まるでその情景が浮かんでくるようなすばらしい発表でした。
あま音さん、これまでどうもありがとう。多くの発見や出会いに恵まれた中学校生活になるよう願っています。
あま音さんのふるさとに対する思いや丸森町筆甫(ひっぽ)の現状がよくわかる写真記事を是非ご覧ください。
とてもうれしいことに、あま音さんとバトンタッチするかたちで今度はお兄さんの和馬くん(14才)がKPJの活動に参加してくれることになりました。和馬くん本人の意思で参加を決めてくれたとのこと、これで丸森支局は和馬くんと玄周くんの兄弟チームとなりました。
和馬くん本人が書いたごあいさつと、弟の玄周くんが撮影したポートレート写真を紹介します。

photo by ©Genshu Ota/Miyagi/311 Kids' Photo Journal
今回から 3/11 キッズ フォト ジャーナルの活動に参加した太田和馬です。
これからは弟の玄周と一緒に活動をしていきます。
日常の写真を撮り、それについて感じた事を書いていきたいと思っています。
宜しくお願いします。
丸森支局 太田和馬
丸森町筆甫の「そのつ森」がこの日の支局です。
あま音さんの写真記事にも出てきた「そのつ森」は彼女たちきょうだいのご両親が中心となり、2013年に丸森町筆甫地区に発足したNPO法人。
旧筆甫中学校を使って、自分たちの手で地域の人々の集う場所を作り、高齢者の福祉を中心に活動されています。
www.facebook.com/pages/そのつ森/176486242547796?fref=ts
玄周くんはスケッチブックをつかって、新メンバーの和馬くんはパソコンをつかって編集作業をしています。

photo by ©Ryogo Shioda/311 Kids' Photo Journal
写真家が持参した道具を使って、自分のカメラを掃除する玄周くん。

photo by ©Ryogo Shioda/311 Kids' Photo Journal
自分たちが撮影した写真の中にぼやけた写真を見つけた和馬くんと玄周くんに、「写真がぶれてしまったのはどうしてだろう?」という疑問が生まれました。
写真家の塩田から、脇をしっかりしめてカメラを構え撮影することを習いました。
2015年
8月
20日
木
2015年夏の活動第一弾 報告② in 石巻

7月28日夜、今年度の夏の活動として、宮城県石巻支局の只野哲也君と打ち合わせを行ってきました!
今年の春から高校に進学した哲也君は柔道部に入部。厳しい練習の成果か、以前よりもひとまわりもふたまわりも、体が大きくなっているようです。打ち合わせ当日も部活の練習があったそうですが、ご自宅に伺い、哲也君の写真にたいする思いや今後の活動について話し合ってきました。

哲也君は以前から、『空』をテーマに撮影しています。この活動をはじめた時から、一番撮りたいものが変わってはいません。今回も日々の生活のなかで撮影した故郷・石巻の写真を送ってくれました。
哲也君は写真のみならずキャプションについても彼なりの持論を持っています。鑑賞者に写真を見たままに感じてほしい彼としては、「キャプションをつけ過ぎると、見る人の自由を奪ってしまうのでは・・・」と感じていると言います。この哲也君の疑問は、写真を撮っていく上で、非常に大切な部分を含んでいます。キャプションには、写真に映る内容をより詳しく知らせる効果がありますが、文字をつけることによって先入観が生まれ、正面から写真と向き合うことを難しくさせる一面も隠されています。事実、キャプションをつける写真家がいる一方で、文字を排し、鑑賞者に写真と向き合うことを促す写真家も存在します。哲也君の意見は、写真としっかり向き合っているからこそ生まれてくるものであり、日々の生活を感じるままに切りとる彼の写真ともマッチする考えでした。
大人顔負けの考えを持つ哲也君とKPJ代表・後藤が話し合った結果、哲也君にはこれまで通り、彼が直感で捉えたいと思ったときにシャッターを押した写真を送ってもらい、今まで通り発表していく形をとることになりました。 また、身近な記録として、自宅の庭でおばあさんが育てている家庭菜園の野菜の成長を記録することにも興味があると言っていました。

高校に進学して忙しさのます中で、哲也君が日常をどのように感じ、どんな瞬間を捉えて写真をのこしていくのか。時々こうして会う中で交わす会話から、私たちはいつも大きな学びと気付きの機会をもらっています。
3/11 Kids Photo Journal 事務局
2015年
8月
07日
金
2015年夏の活動第一弾 報告①
3/11 キッズ フォト ジャーナルは、7月最後の週に宮城県と福島県在住のキッズ記者に会いに行ってきました。
一年ぶりに会う子もいれば、今年度から活動を開始したため実際に会うのが初めての子もいました。
キッズ記者の中には、今年度の活動を継続するかどうか、まだ答えが出ていない子もいました。
実際にお互い顔を見て話をすることで、キッズ記者が考えていることがよりよく理解できたと感じることもありました。
ここでは順番に今回の夏の活動第一弾の報告をしていきます。
7月28日、宮城県閖上支局の玉田礼菜さん(14才)・真菜さん(11才)姉妹に会いに行きました。
この時点で、二人からは今年度の活動継続の意思の確認がとれていませんでした。
話をする前に、まずはいつものように二人が撮りためたたくさんの写真を見せてもらいます。
姉の礼菜さんは桜の季節に近所でお花見をする人々の写真を撮っていました。

礼菜さんはこの春中学3年生になりました。高校受験を控え、KPJのキッズ記者としての活動を今年度継続するかどうか迷っていましたが、実際に会って今年度は勉強に集中するため活動の休止を決めたという報告を受けました。
普段から写真を撮ることが大好きな礼菜さんは、将来写真家になる夢を持っています。
最近親戚から一眼レフカメラを譲り受けたそうで、それ以来主にこのカメラを使って写真を撮っています。
新しいカメラで撮影した妹の真菜さんの写真もありました。

妹の真菜さんもふるさとの写真を撮影していました。かつて姉妹の家があった閖上の写真です。

日和山から撮影したふるさとの写真です。
礼菜さん同様、真菜さんも今年度は活動を休止することを決めました。

3/11 キッズ フォト ジャーナル発足当初から活動を継続してきた玉田さん姉妹、自分たちで考えて今年度の活動休止を決めました。活動の継続、休止、退会を決断するのは、それぞれとても勇気がいることだと思います。
一旦活動休止を決めた礼菜さんと真菜さん、これまでどうもありがとう。
二人には、今自分たちにとって大切だと思うことにエネルギーを注いでほしいと願っています!
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局
2015年
6月
03日
水
福島支局からのフォトレポート!Vol.2
福島支局の丹治基規君(14才)からも春のレポートが届きました。
家族団らんの食卓の様子を伝えてくれています。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

この写真は母の日に父が市場で買ってきたかつおをたたきにするために焼く準備をしているところです。かつおは生でも美味しいですが、少しあぶり薬味といっしょに食べるととてもおいしくなります。

かつおのたたきを作るためにあぶっているところです。 焼いていくとすごくいいにおいがしてきて、とてもおいしそうでした。 先に皮の方をあぶり、後から少しだけ身をあぶります。

夕食の盛りつけが終わった時の写真です。 奥から2番目の皿がかつおのたたきです。
真ん中の皿はかつおの刺身です。このかつおはすごく脂がのっていておいしかったです。
僕たちの家族は毎週土日は祖父母も含め6人で食べています。
この日もみんなで楽しく食べました。

みんながほぼ食べ終わった時の写真です。
刺身はとてもおいしく完食でした。
いつもはなかなか刺身を食べることがないのでこの日は満腹になっても少し残っていたので驚きでした。
福島支局 丹治基規(14)
2015年
5月
31日
日
ごあいさつ KPJ事務局 山田晃子
KPJキッズ記者の皆様、保護者の皆様、
お知らせが大変遅くなってしまい申し訳ありません。
この度、日本を離れアンコールワットのあるカンボジア・シェムリアップに移住をし、
カンボジア・シェムリアップの風景
Photo by @Akiko Yamada/311 Kids' Photo Journal
2015年
5月
24日
日
福島支局からのフォトレポート!
福島支局の丹治那月君(11才)から春のフォトレポートが届きました。
お家の周りでの出来事と新しく加わったかわいい家族についてをレポートしてくれています。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

この写真は、ぼくの家の前でじょせんをやっている写真です。
ぼくが学校から帰ってきたときに、初めて近くで除染している所を見ました。
音がすごくうるさくていやでした。

この写真は、ぼくがすごく気に入っている写真です。名前は『ハル』です。3月30日から新しい家族になりました。 今は、産まれてから3ヶ月でまだ赤ちゃんなので、とてもかわいいです。 ハルと、ときどきいっしょに山に行ったりしています。ハルはとても山がにあってかっこいいです。
福島支局 丹治那月(11)
2015年
5月
16日
土
閖上支局からのフォトレポート! Vol.2
閖上支局、春のレポート第2弾は、妹の玉田真菜さんからです。
今年3月8日、震災から4年が経とうとする中で多くの人々が集まる慰霊碑と朝市を取材してきてくれました。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

今日は、閖上にいった。夕方から、とうろうのてんとうをするじゅんびをしていた。
すごくたくさんのとうろうがとても、きれいだった。

今日はいれいひの前には、たくさんの花がそなえられていた。たくさんの人がおとずれたことがわかった。
私も、花をあげて手をあわせてきました。

朝市の場所もいってみた。たくさんの人がすみで魚をやいていた。こんど、私もいったら、すみで、魚をやきたいと思った。今月はこんでいて、できなくて、ざんねんだった。

とうろうはひよりやまから閖上しょうがっこうのこうていまで、つながっていた。私は、車をおりて、とうろうの道をあるきながら、写真をとった、たくさんのひとにしごじろみられて、はずかしかった。

KPJ閖上支局 玉田真菜 (10)
2015年
5月
09日
土
閖上支局からのフォトレポート! Vol.1
先日、朝日新聞でも取り上げていただいた、宮城県閖上支局の玉田姉妹から、フォトレポートが届きました。
震災から4年を前にしてこの3月に、2人それぞれが思いを馳せた場所で写真を撮ってきてくれました。
まず、第1弾として、お姉ちゃんの玉田礼菜さんのレポートをご覧下さい!
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

3月9日、あいにくの雨のなか、写真を撮りに行きました。
これは工事の立ち入り禁止の看板の前まで行って撮った写真です。
雨の中で、津波で壊れたぼうはていを直している作業員の人達の写真を撮って思ったことは、私達にはできないことを、この作業員さんたちはいつも閖上のためにしてくれているということです。
今日もごくろうさまです。そして、ありがとうございます。閖上のために。

大好きだったおじさん、おばさんの家に行って撮ってきた写真です。
この写真を選んだ理由は、画面ぎりぎりに供えた花とか線香とかが写っていてよかったからです。
津波がきて、いっしゅんにして思い出がある物や大好きだった人が亡くなったことを思うと、悲しくなり、涙が出てきます。
大好きなおじさん、おばさん 今日も見守っててね。
KPJ閖上支局 玉田礼菜 (14)
2015年
3月
28日
土
「わたしたちの震災フォーラム」に参加し、KPJ代表で気仙沼支局 佐藤翔太君が発表しました!
3/11 キッズ フォト ジャーナルは、3月22日に東京都港区の愛育病院で開催された「わたしたちの震災フォーラム」に参加しました。被災した地域の子どもたちの心と身体のリフレッシュを目的とした「ニコニコキャンプ」を継続的に開催している「子どもの心と身体の成長支援ネットワーク」が、これまでさまざまな団体が育んできた支援の輪が人々の記憶の風化とともに小さくなってしまわぬよう、これからの支援についてみんなで語り合う場として、このフォーラムを開催しました。
子どもの心と身体の成長支援ネットワーク: www.facebook.com/childrenheartandbody

「こどもたちが関わる未来につながる支援」というテーマの分科会では、「トチギ環境未来基地」、「日本こどもの安全教育総合研究所」とともに、3/11 キッズ フォト ジャーナルも活動について発表することが決まっていましたが、急遽宮城県気仙沼支局の佐藤翔太君が参加してくれることになり、翔太君本人がKPJを代表してみなさんの前で話をしました。
本番直前の翔太君。過去に自分が撮影した写真を見ながらじっくり考えているように見えました。

この春高校を卒業し新しい世界へ飛び出したばかりの翔太君、当時は中学生だったKPJ始動当初からこれまでずっと気仙沼の様子を撮影し、ふるさとの現状を発信し続けてきました。「仕事も始まり、気仙沼を離れたので復興の様子を伝えることが出来なくなりましたが、今の自分が出来る最後の活動と思い参加しました。」と今回の参加理由を話しています。
過去に翔太君自身が撮影した数枚の写真をスクリーンに映し出しながら、活動に参加しようと思った理由や活動を通して自分が考えることをみなさんに話しました。

「メディアで伝えられる情報は、実際に起きていることと違うことがある。さまざまな大人の事情で情報をそのまま伝えられないこともあるだろう。だからこそ、子どもである自分が実際に写真を撮って事実を発信したいと思った。」とKPJ活動に参加した理由を語った翔太君。

会場で翔太君がみなさんに見せた5枚の写真のうちの一枚、巨大津波で陸地に運ばれた第18共徳丸(2013年2月3日 本人撮影)。

2015年
3月
14日
土
それぞれの場所で ― 東日本大震災から4年
名取閖上支局の玉田姉妹、キッズフォトージャーナルの活動には初年度から参加しているベテラン記者たちです。
彼女らの活動の様子が取材されて朝日新聞デジタルでも見れる様になっています。
http://www.asahi.com/articles/
二人の素晴らしい写真と想いを記事にまとめてくださった朝日新聞社の川村直子記者にも心から感謝したいと思います。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局





2015年
2月
04日
水
震災から4年を迎える2015年3月11日を目指し、ポストカードブックを制作しています。
3/11 キッズ フォト ジャーナルは震災から4年を迎える2015年3月11日を目指し、ポストカードブックを制作しています。
ポストカードとして1枚ずつ切り離せる写真集で、子ども達の想いを投函して広めていただければと願い、企画しました。
先日の会議では表紙が決まりました。宮古市の赤前支局の佐可野瞬大君が書いてくれたイラストをもとにデザイナーが仕上げてくれました。

収録する写真は、子ども達が過去に撮ったものからお気に入りを選んだり、新作を撮り下ろしたりしました。
佐可野君は新作に臨み、思い入れのある野球場を取材してくれました。
先取りして1枚を紹介します。

春になって草花も目を覚まし始めました。
普通の見方をすると雑草の生えた球場だけれど僕は彩りを加えてくれた草花に感謝しています。
被災した人と同じように復興を目指し、上へ上へと伸びていってくれているからです。
津波をかぶった所から草花が生えることは僕たちと同じ様に毎日頑張って「生きている」という事だと思います。
制作は今から佳境に入ります。
3月には詳細をお知らせできると思います。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局
2015年
1月
26日
月
釜石支局からふるさとの様子が届きました
釜石支局の岡道君が津波被害に遭った自宅の近辺を取材してくれました。
震災からもうすぐ4年、少しずつ復興が近づいているのを実感しているようです。
一方で子供が減るなどの現状もレポートしてくれています。
今春から大学生になる岡道君は「地域の活性化」を願っています。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

箱崎町の以前の自宅の前。
いつのまにか公園のようなものができていました。
しかし、今の箱崎には震災前に比べかなり子供が減ってしまいました。
この公園がたくさんの子供で賑わうような町を作っていかなければならないと感じました。

箱崎のバス停跡。
最近まではバスが通っていたのですが、廃止となってしまいました。
利用者は少ないとはいえ、車のない高齢者の方は困ると思いますし、交通手段の不便さから更に人が集まりにくくなるのではないかと心配です。

依然通っていた釜石東中学校の校門のあったところの写真。
瓦礫やゴミは処分され高く土が盛られています。
ここにスポーツ施設の建設を予定しているそうです。
地域の交流の場が仮設住宅用地となってしまったので、この施設で以前のような地域の活性化につながればいいと思います。
釜石支局 岡道一平(18)
2015年
1月
17日
土
福島支局から冬の便りが届きました!
福島支局の丹治那月君もお兄ちゃんの基規君と同じく柿を採ったエピソードを紹介してくれました。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

この写真はみんなでやっている風と木の店の前にあるかきの木をとってならべた写真と箱に詰めたときの写真です。
この時は、お父さんが屋根の上に登って上からかきを落とし、下でぼくたちがグローブで受け取る作業をしていました。
とてもおいしそうでしたし、とても楽しかったです。

福島支局 丹治那月(11)
2015年
1月
14日
水
福島支局から冬の便りが届きました!
福島支局の丹治基規君が福島市での家族との暮らしをリポートしてくれました。
基規君は2014年春、お母さんや弟の那月君と避難していた愛知県から約3年ぶりに福島市に戻ってきました。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

この写真は僕達家族が経営してるカフェ『風と木』にある柿を採っている様子です。
僕達は野球をやっているので柿をグローブでキャッチしています。
家族みんなで採るのでとても楽しいです。
愛知県にいた頃は出来なかったのですが今年はみんなで収穫することができました。
また来年も柿を収穫したいです。

12月6日に近くの集会所で生ハム作りのワークショップに参加してきました。
おもに肉に塩を塗り込む作業をしました。
普段生ハムを作ることがないのでいい経験になりました。
1年間熟成させるので来年楽しみです。

12月7日に僕の14歳の誕生日がありました。
写真は祖父母の家で短角牛の串物を焼いているところです。
短角牛は高いのですが誕生日だからといって祖父母が買ってきてくれました。
普通の牛肉と違ってとても柔らかく美味しかったです。
とても楽しい誕生日でした。
福島支局 丹治基規(14)
2014年
11月
19日
水
発展をし続ける赤前
赤前支局:佐可野瞬大君からこの夏の間に写真を撮り、記事を書きためておいてくれたアサイメントが届きました。
瞬大君のアサイメントにはいつも復興へ向けて働き続けてくださる方々への感謝の気持ちがこめられています。
「復興」という言葉に含まれる前向きさからその影に隠された不安や痛みまでをも見つめて続けている瞬大君が
一番大切にしていることなのかもしれません。
それは目の前の事に左右されない瞬大君のもつ芯の強さがあらわれている、そんな気がします。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

2ヶ月ぶりに公営住宅建設地へ行きました。

進化したのは住宅だけではありません。なんと避難道路もです。

しかし、公営住宅が、できたとはいえ、完成するのはまだ先。 まだ、仮設住宅に住んでいるひとは、少なくありません。
公営住宅の入居が決まっていても、完成を待っている人、まだ、

赤前支局 佐可野瞬大 (13才)
2014年
10月
16日
木
震災から3年以上経った海
赤前支局の大久保直翔君(13才)からも夏のアサイメントが届きました。
直翔君がいつも見つめ続けている赤前の大須賀海岸の風景。
彼のいろんな思いがこもった言葉を添えてのフォトジャーナルです。
3/11キッズ フォト ジャーナル事務局

ここは、赤前のオオスカ海岸にある海水浴場で、震災前は夏になると、いつもみんなと泳いでいたけど、
最近でも周りに少し瓦礫が残っている。
泳いでる人は、被災前よりも、極端に少ない。
海水浴場に人が集まって、もっとにぎやかになってほしいと思う。
赤前支局 大久保直翔(13才)
2014年
10月
08日
水
復興マルシェの移転
福島支局に続いて、宮城の気仙沼支局:佐藤翔太君(17才)からも夏のアサイメントが届きました。
翔太君の住む鹿折地区の新たな動き、それを一緒に見つめ続ける気持ちを綴ってくれました。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局
鹿折復興マルシェが8月11日に震災復興工事のために移転することになりました。復興マルシェは鹿折地区でお店などが被災した人たちが復興するため平成24年5月11日からオープンし、地域の人達と一緒に復興を進めて来ました。しかし、土地のかさ上げ工事のためマルシェは解体され、500メートルほど移動することになり、今までお世話になった鹿折地区の人たちに感謝を込めてお祭りを開きました。

当日は雨が降ったり止んだりの天気でしたが、450人の人が復興マルシェに来ていました。
各お店やボランティアで屋台が出され、焼き鳥やフライドポテトなどの食べ物からスーパーボールすくいなどのお店が10店舗ほど出ていました。お祭りに来た人達は食べ物を買って楽しんでいたりしていました。

マルシェで営業している人は大きな選択を決めることになります。このまま新しい仮設店舗に移るか、自分で建物を用意してお店を開くか。取材を受けているのは僕が幼い時からお世話になってた「うめねす」のおじさんです。「うめねす」は今後どうするのか聞いたら、どこか店を借りて営業するつもりだが、まだどうなるかわからないと言っていました。

鹿折に花火が上がりました。マルシェから数百メートル離れた場所から打ち上げました。
気が付いたら今年で3年目の夏。僕も高校生最後の夏休みになりました。
3年間いろいろあったなぁと思いながら花火を見ていました。
佐藤翔太 気仙沼支局 (17才)
2014年
10月
06日
月
フランス旅行の思い出
福島支局 丹治兄弟の弟の那月君(11才)からも夏のアサイメントが届きました。
前回のお兄ちゃんの基規君の「フランスの旅日記」に引き続き、
那月君の体験したフランスでの出来事を綴ってくれました。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局
ぼくは、夏休みが始まってすぐくらいにフランスへ行き、学校が始まる前日に帰ってきました。
なぜ行ったかと言うと、去年も行ったし、自分も行きたかったからです。
しかも、フランスには知り合いもいてさそってくれたからです。
フランスの人たちの中に知り合いの友達がいてプールで原発のことを一緒に話したりもしました。
その人は原発のデモなどにも参加しているそうです。
ぼくはフランスの人たちでも原発の事や福島のことが分かっているんだと感じました。
ぼくは朝、起きるのが苦手ですがお世話になったフランス人家族は朝起きるのがとても早くてすごいと思いました。
なので早起きなどフランス人の生活が体験できました。
ぼくはフランスの人たちと、おもにフランス語で話しましたが、ときどき英語で話す時もありました。
ぼくはホームステイだったのでいっぱい家の人としゃべりました。
食事の時はいつもにぎやかでわいわいして食べたりしたのでとても楽しかったです。
次回行くとしたらぼくは、フランスの山に登りたいです。

これは、成田空港でとった写真です。
これから飛行機に乗るというときにとりました。
じっさいにぼくは、この飛行機に乗りました。
パリまで着くのにとても時間がかかったのでこの飛行機の中でえい画など見ました。
そしてねてパリへ向かいました。一人だったのでとても不安でした。

この写真はパリに着いて次の日にパリの町を歩いていたときにとった写真です。
手前の川はパリのセーヌ川です。
この時はパリプラージュというセーヌ川ぞいで行われたまつりです。
海の砂を運んできてそのスペースに置き遊べるまつりです。

これは、一けん目のホームステイ先の家族と一緒に行った水族館です。
その日はその家のステファニーという人の誕生日でおいわいとして行きました。
そこでは、イルカやシャチのショーを見たり、実さいにイルカをさわったりしました。
とても楽しい一日でした。

この写真はステイ先の人から『和食を教えてね』と言われていて、みんなでかんがえて
一番かんたんないなりずしをつくりました。ぼくがさいきん出来るようになったばかりなので
とてもきんちょうして作っていたらちょとだけしっぱいしてしまいました。
ステイ先の人はとてもよろこんでくれたのでうれしかったです。

2014年
9月
26日
金
フランス旅日記
福島支局 丹治兄弟のお兄ちゃんの基規君(13才)から夏のアサイメントが届きました。
先月、フランスから届けてくれた「フランスの旅」の続きです。
基規君がこのひと夏を異国の地で過ごし、見えたもの、考えたことをフォトストーリーにして
伝えてくれています。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

僕は8月3日から24日の間、フランスに行きました。
フランスに住んでいる両親の共通の友人が『夏休みをフランスで過ごさないか?』と誘ってくださったからです。
今年はホームステイと 『GANBALO SUMMER CALAVAN 2014』というプロジェクトに参加しました。
このプロジェクトは震災で被災したこどもをフランスに呼んで現地の人たちとの交流や体験、フランスの地理や歴史、
文化や言葉を学びながら旅をするものです。ホンダ・フランスが車を貸してくれる事になり、その車でフランスの各地を
回りました。この写真はフランスに着いて二日目にパリの広場から撮った写真です。
思ったより大きくて、フランスと言ったらやっぱりこれだなと思いました。
今年はエッフェル塔に登らなかったですが来年は登りたいです。

この写真は有名なレオナルド・ダ・ヴィンチが最後に住んでいたお城クロ・リュセ城です。
中には彼の発明品や創作品、絵などが飾られています。見ていて飽きることなく楽しく楽しく観れました。
ダ・ヴィンチは都市設計にも関わっている事を知り、驚きました。
僕も将来は設計などの仕事に携わりたいと思っているので良い経験になりました。

この写真はヨーロッパ最大級の砂丘、ピラ砂丘です。
大きいので登ると結構きついです。
周りは森と海に囲まれていて、とても景色がいいです。
来年も機会があれば行きたいです。

ホームステイでお世話になった家族とロッククライミングをした時の写真です。
僕は生まれて初めてロッククライミングをしたのですが、家族のみんなは上手に登っていました。
初めてだったので最初は不安だったけれどやってみると意外に簡単でした。

これはフランスの図書館の写真です。
僕は本が好きでフランスの図書館にも興味がありました。
図書館には日本の まんが も多く置いてありました。
フランスのこどもの多くが日本の まんが が大好きなようです。
まんがってやっぱりすごいなと思いました。
丹治基規 福島支局 (13才)
2014年
9月
17日
水
KPJ写真展開催@大阪のお知らせ
間もなく大阪でキッズフォトジャーナルの写真展が開催されます。
大阪方面の方々、是非この機会をお見逃しなく!
会期:9/20 - 28(午前9時〜午後5時まで、23火祝日を除く)
会場:地域交流館 1階
共催:(社福)阪南市社会福祉協議会
※9/28には子どもの声を聴く相談員養成講座2014公開講座の第一回目にキッズフォトジャーナル代表の後藤由美がお話しに出かけます。
日時:9月28日(日)午後1時半〜3時半
場所:地域交流館 体育施設
◆お申込・問合せ/ NPO 法人子どもNPOはらっぱ
〒599-0202 大阪府阪南市下出477-5
TEL/FAX 072-471-2276 メール harappa@taupe.plala.or.jp
◆後援/ 阪南市 阪南市教育委員会 岬町 岬町教育委員会 岸和田市教育委員会 泉佐野市教育委員会
泉南市教育委員会 熊取町教育委員会 田尻町教育委員会

2014年
9月
15日
月
雑誌【オレンジページ】さんにKPJの活動を紹介していただきました!
オレンジページ2014年9月17日発行・発売号に
3/11キッズフォトジャーナルの活動を紹介していただきました!
74〜75ページに掲載されています。ぜひご覧ください
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局


2014年
9月
01日
月
復興に近づく被災地
とうとう夏休みも終わり、9月が始まりましたね。
キッズ記者たちも、それぞれ夏休みを終え、また忙しい学校生活が始まったようです。
今回は岩手の釜石支局、岡道一平君(17才)が夏の間に被災したふるさとへ足を運び、
変わりゆく街並みを撮り、彼の復興への思いをあらためて言葉にして届けてくれました。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

8月24日の大町、大渡の町の様子。ここも東日本大震災で大きな被害を受けた地域だ。

震災前は商店街があり多くの建物があったのだが、地震後の津波によりほとんどの建物が壊れたり、
流されたりしてしまい、瓦礫が撤去された後も以前とは全く違った光景が広がっていた。

しかし、最近では多く建物がたち始め、震災前同様とは言えないまでも復興が進んできたと感じられる。


復興に時間がかかるということは事実だが、少しずつ復興に近づいている。
日常でこのように復興を感じられるようになってきたのがその証拠だと思う。
地域によって進度は違ってはいるが、きっといつか全ての被災地域が復興できるはずだ。
とはいえまだまだ長い年月がかかる。復興は私たちの世代も考えなければならない問題といえる。
これから社会に出ることになるのでこれまで以上に被災地や復興について考えていかなければならないと思う。
岡道一平 釜石支局(17才)
2014年
8月
25日
月
フランスの旅
福島支局の丹治基規君より、夏のお便りが届きました。
それもフランスから!
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

僕は今年の夏、震災の保養プログラムでフランスに来ています。
こないだフランスのシュノソー城という城に行きました。
この城は16世紀に建てられた城です。
この城が橋といっしょに川の上に建てられているので驚きました。
丹治基規 福島支局 (13才)
2014年
8月
23日
土
飯館村支局から夏の便りが届きました!
飯館村支局長の菅野大輝くんがなかなか放射線の除染がすすまない
ふるさと飯館村の現状を伝えてくれました。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

川俣町山木屋地区を撮りました。
山木屋地区は、福島県が主体となって除染を進めています。山木屋地区は山、農地から除染を進めています。
しかし、僕が住んでいた飯舘村は、国が主体となって宅地の周りから除染を進めています。まだ除染の結果が出ていませんが、飯舘村の住民からは、「山、農地を先に除染した方がいいのではないか」と言う声が上がりました。
飯舘村は山水、地下水を使っている家がたくさんあります。また放射能は高いところから、低いところに流れると聞いています。なので、宅地の周りの除染は、もちろん大切ですが、山、農地を先に除染した方がよいのではないかと思います。

川俣町山木屋地区の写真です。
農地の除染が終わった家は、宅地の周りの除染が始まっていました。
そのなかでも、屋根の除染は困難です。屋根が瓦の場合1枚1枚手で拭いて除染をします。このような除染しかできません。本当に放射能が取れるのか 、除染しても効果が無いのではないかと心配です。

飯舘村の除染の場所で青いテープが貼ってあるところがあったので気になり撮りました。じいちゃんに聞いてみると、「除染してもらいたくないとろには、テープ貼るんだ」と言ってました。震災前は手入れをしていた思いでのある庭を、除染で壊したくないんだと思いました。

震災から4年目の夏を迎えました。
全く除染が進みません。飯舘村は平成28年に帰村宣言をする予定です。
平成28年まで除染が完了するかわかりません。今まで計画通りに進まないことが、多々ありました。
計画通りに除染が進むことを願いたいです。

飯舘村の写真です。
2時間ほど前は、霧がかかっていませんでしたが、
やませで、午後の2時頃気温が、18度までさがりました。
肌寒い空気でした。福島市では夏経験できないような天候でした。
こういった天候もこれから、除染作業に影響してくるかもしれません。
2014年
8月
12日
火
7/31 ウェブベルマークイベント発表 赤前支局:佐可野瞬大君
7/31に開催されたウェブベルマーク協会が被災地の現状を共有する目的のイベント
「ウェブベルマークフォーラム2014」に岩手、福島、宮城各県のKPJキッズ記者が上京して
震災の記憶が風化する中、子ども達のふるさとの現状をひろめるため現地報告をさせていただきました。
各県代表のKPJキッズ記者の発表内容をみなさまにお届けしてまいります。
岩手県からは赤前支局の佐可野瞬大くん(13才)が発表をしてくれました。
キッズ フォト ジャーナルは、東北の被災校を継続的に支援できる仕組みとして昨年9月にスタートした「ウェブベルマーク」(一般社団法人ウェブベルマーク協会)さんと協力し、東北の現状を少しでも多くの方に伝えるべく、「ウェブベルマーク」のホームページにKPJキッズ記者の写真記事を掲載しています。
http://www.webbellmark.jp/feature/Kids'PhotoJournal

赤前支局の佐河野瞬大です。
姉がこの活動をしていて、見ているうちに、おもしろそうなだと思ってこの活動を始めました。震災当時は小学校4年生で、震災の事をあまりくわしく知らなかったけど、この活動をやっていると興味が出てきて、地域の役に立ちたい!と強く思うようにもなりました。

今は、地域の公営住宅や、僕の家の近くにある堤防の変化や、避難道路の完成までの変化などの写真をとっています。

2か月くらい前まで土だけだった野球場も、雑草がおいしげるようになっていました。
再建築が決まってから、工事の音も少しずつ聞こえるようになったし、トラックもたくさ
ん通るようになったので、「いよいよだな!」と感じるようになりました。早く再建築さ
れて、プロの野球をそこで見てみたいし、自分も、赤前の球場でプレーしてみたい!と強
く感じています。

赤前では、新しく避難道路がつくられています。しんさい当時、避難所となった赤前小
学校へつながる道になっているそうなので、従来よりもいち早く避難できるようになっ
て、お年よりや子どもにも便利だと思います。いつ完成するかはわかりませんが、完成したら通ってみたいと思います。

また、2ヶ月でこんなに変化していてびっくりしました。早く作業が進んでいるのも、
建築現場の方々が手際よく作業してくださっているからなのですごく感謝しています。
2014年
8月
10日
日
7/31 ウェブベルマークイベント発表 福島支局:丹治基規君
7/31に開催されたウェブベルマーク協会が被災地の現状を共有する目的のイベント
「ウェブベルマークフォーラム2014」に岩手、福島、宮城各県のKPJキッズ記者が上京して
震災の記憶が風化する中、子ども達のふるさとの現状をひろめるため現地報告をさせていただきました。
各県代表のKPJキッズ記者の発表内容をみなさまにお届けしてまいります。
福島県からは福島支局より丹治基規くん(13才)が発表をしてくれました。
普段は弟の那月くん(10才)とともに活動に参加してくれています。
キッズ フォト ジャーナルは、東北の被災校を継続的に支援できる仕組みとして昨年9月にスタートした「ウェブベルマーク」(一般社団法人ウェブベルマーク協会)さんと協力し、東北の現状を少しでも多くの方に伝えるべく、「ウェブベルマーク」のホームページにKPJキッズ記者の写真記事を掲載しています。
http://www.webbellmark.jp/feature/Kids'PhotoJournal

福島支局の丹治基規です。弟と2人でキッズフォトジャーナルの活動を行っています。

僕は、震災後すぐに、友だちに連絡できないまま愛知県にひなんしました。
僕は福島でも野球をやっていたので、ひなんしてすぐに、愛知県の野球チームに見学に行きました。

2011年の4月から、愛西市の北河田小学校に転入しました。転入して最初に声をかけてくれたのは、見学した野球チームに所属している永戸君でした。僕は、野球チームではショートを守っていました。

僕たちの家族はひなんするときに父だけが福島に残りました。父とはほぼ毎日、スマー
トフォンのビデオ通話で連絡をとっていました。

離れて暮らしていましたが、父が時どき愛知県に会いにきてくれました。その時は、家
族でキャッチーボールをしていました。父と母から放射能について話を聞いていたので、
福島にはあまり戻りたくありませんでした。
2014年
8月
08日
金
7/31 ウェブベルマークイベント発表 筆甫支局:太田玄周君

7/31に開催されたウェブベルマーク協会が被災地の現状を共有する目的のイベント
「ウェブベルマークフォーラム2014」に岩手、福島、宮城各県のKPJキッズ記者が上京して
震災の記憶が風化する中、子ども達のふるさとの現状をひろめるため現地報告をさせていただきました。
各県代表のKPJキッズ記者の発表内容をみなさまにお届けしてまいります。
宮城県からは筆甫支局より姉弟で発表をしてくれた
太田あま音さん(11才)と太田玄周くん(9才)の2人。
普段は文章をお姉ちゃんのあま音さん、写真を弟の玄周くんで担当してくれていますが、
ウェブベルマークさんの発表ではそれぞれが自分で文章を書いて、写真を撮ってきてくれました。
今回は弟の玄周くんの発表をお伝えします。
キッズ フォト ジャーナルは、東北の被災校を継続的に支援できる仕組みとして昨年9月にスタートした「ウェブベルマーク」(一般社団法人ウェブベルマーク協会)さんと協力し、東北の現状を少しでも多くの方に伝えるべく、「ウェブベルマーク」のホームページにKPJキッズ記者の写真記事を掲載しています。
http://www.webbellmark.jp/feature/Kids'PhotoJournal

これは、筆甫で3番目に高い山、夫婦岩です。なぜ夫婦岩とよばれるかというと、三角
形になっていて半分われているように見えるからです。

山登りのコースとして親しまれています。とざんぐちからちょうじょうまで休みながらで
も1時間弱でのぼれます。

ちょうじょうにはテーブルストーンがあり、てん望おおいわから筆甫のしゅうらくが見
わたせます。鳥や動物や虫がいます。フクロウの声も聞こえました。リスが走っていった
ところを見たり、イノシシがドロあびをしたくぼみも見られます。カブトムシやクワガタ
もたくさんいます。

明るいぞうき林をすぎて暗い杉林をいくと少し寒くなります。そのあと長いかいだんを
登ると尾根に出ます。日あたりはいいですが風がとても強くなります。1mきゅうしゃめ
んにおりてみると風が無くなりあったかいです。

2014年
8月
06日
水
7/31 ウェブベルマークイベント発表 筆甫支局:太田あま音さん

7/31に開催されたウェブベルマーク協会が被災地の現状を共有する目的のイベント
「ウェブベルマークフォーラム2014」に岩手、福島、宮城各県のKPJキッズ記者が上京して
震災の記憶が風化する中、子ども達のふるさとの現状をひろめるため現地報告をさせていただきました。
各県代表のKPJキッズ記者の発表内容をみなさまにお届けしてまいります。
宮城県からは筆甫支局より姉弟で発表をしてくれた
太田あま音さん(11才)と太田玄周くん(9才)の2人。
普段は文章をお姉ちゃんのあま音さん、写真を弟の玄周くんで担当してくれていますが、
ウェブベルマークさんの発表ではそれぞれが自分で文章を書いて、写真を撮ってきてくれました。
今回はお姉ちゃんのあま音ちゃんの発表をお伝えします。
キッズ フォト ジャーナルは、東北の被災校を継続的に支援できる仕組みとして昨年9月にスタートした「ウェブベルマーク」(一般社団法人ウェブベルマーク協会)さんと協力し、東北の現状を少しでも多くの方に伝えるべく、「ウェブベルマーク」のホームページにKPJキッズ記者の写真記事を掲載しています。
http://www.webbellmark.jp/feature/Kids'PhotoJournal

私の住む宮城県の筆甫は、小さな地区ですが、緑がいっぱいで色々な動物や鳥がいる所
です。私の通う小学校は、全校13人の学校です。少ない人数ですが、良いこともたくさん
あります。13人なので毎日、全員とお話できます。遊ぶときは、みんないっしょで、たま
に給食もいっしょに食べます。みんな仲良しです。私は、この筆甫も筆甫小学校も大好き
です。

東日本大震災があったのは、私が2年生の時です。急にガタガタ、教室がゆれたので、
すごくびっくりしました。地震もゆれは強かったですが、その後降ってきた放射能もとて
も心配しました。筆甫は福島県よりの場所にあります。だから、けっこう危険だと思いま
す。私は、しばらく外で遊べなくなりました。毎日、マスクをして、外で遊ぶのをがまん
するのは大変でした。

東日本大震災の後、ひなんして来た人もいました。福島の南相馬の人達です。子ども
も、7人ひなんして来たので人数が少なかった筆甫小学校がすこし、にぎやかになりました。ひなんして来た人が使っていた場所は、旧筆甫中学校です。

筆甫中学校は、子どもが少なくなり、平成19年から廃校になった学校です。これが校舎の写真です。校庭は、使っていなかったので草が結構生えています。ふつうの大きさですが教室は3つしかありません。しばらくの間だれも使っていなかった中学校が、また、にぎやかになりました。たくさんの人が寝泊まりしました。5か月の間、中学校は大活やくをしました。

2014年
8月
04日
月
キッズ記者IN 東京 ウェブベルマークイベントに参加
福島、宮城、岩手各県のキッズ記者代表が7月31日、東京で開かれた東北の被災校支援活動
「ウェブベルマーク」のイベントに参加し、この日のためや過去に取材した写真を見せながら、発表しました。
「赤前の復興を確かめに来てください」(岩手県宮古市・佐可野瞬大君)
「これからの筆甫は人が集まってにぎやかになってほしい」(宮城県丸森町・太田あま音さん)
「僕の好きな夫婦岩(筆甫の山)は震災後も変わりません」(同・太田玄周君)
「4月からまた家族一緒に(福島で)暮らし始めた。3年の空白を埋めたい」(福島県福島市・丹治基規君)
本番前は緊張していた子どもたちも舞台の上では、自分の言葉ではきはきと被災地の現状や今後の願いを語りました。詳報は今後、各県ごとにブログに掲載していきます。子どもたちの「今の声」を是非、聞いて(読んで)いただければと思います。


また、発表会場や懇親会場では写真展も開いていただき、大勢の人に見ていただきました。見た方々は「写真に写っているお父さんが作る味噌はどうやったら買えるの?」など積極的にキッズ記者たちに話しかけてくださいました。

ウェブベルマークはネットでの買い物を通じて、被災した学校に支援金が届く仕組みで、
2013年に始まりました。
https://www.webbellmark.jp/webbellmark
震災後2年が過ぎ、継続して支援ができる仕組みを作ろうと設立されました。
キッズ記者たちも被災地の今をレポートで届けるという形でコラボレーションしています。https://www.webbellmark.jp/feature/Kids'PhotoJournal
この日のイベントは協賛会社の懇談会で、被災地の現状を共有する意味も込められていました。朝日新聞社東京本社で開かれ、まずはウェブベルマーク協会がこれまでの登録者が約9千人、支援金が約27万円となったとし、今後、拡大を目指すと報告しました。その後、陸前高田市の気仙中の鈴木利典校長が「七夕や豆まきなどをみんなでやることが心を癒やすのに重要」と訴え、そうした日常品を贈るウェブベルマーク活動に期待を寄せました。同中ではバスで生徒たちが下校する時、先生たちは見送り、「明日も来いよ」と声を掛けるそうです。
2014年
7月
30日
水
3/11 キッズ フォト ジャーナル各県記者のウェブベルマーク主催イベント参加!
3/11 キッズ フォト ジャーナル各県記者のウェブベルマーク主催イベント参加!
キッズ フォト ジャーナルは、東北の被災校を継続的に支援できる仕組みとして昨年9月にスタートした「ウェブベルマーク」(一般社団法人ウェブベルマーク協会)さんと協力し、東北の現状を少しでも多くの方に伝えるべく、「ウェブベルマーク」のホームページにKPJキッズ記者の写真記事を掲載しています。
http://www.webbellmark.jp/feature/Kids'PhotoJournal
この度、ウェブベルマーク協会が被災地の現状を共有する目的のイベントが、7月31日(木)に東京で開催されることになりました。震災の記憶が風化する中、子ども達のふるさとの現状をひろめるため、このイベントで、岩手、福島、宮城各県のKPJキッズ記者が上京して現地報告をすることになりました!
みなさまには各県代表をご紹介したいと思います。
福島県を代表して丹治基規君(13歳)
普段は弟の那月君(10歳)と共に活動してくれていますが、
今回はお兄ちゃんの基規君が福島から参加してくれることになりました。
丹治基規(たんじもとき)/ 13歳
震災当時福島の渡利小学校の4年生でした。
震災3日後に愛知県にひなんし、佐織中学校に通っていました。
今は、福島に戻って渡利中学校に通っています。
今はまっていることはお父さんからプレゼントされたギターです。
コードで曲は弾けるようになりました。とっても楽しいです。

この写真は、僕が通っている佐織中学校の1Dの教室の放課後です。
いつも見ている教室なのにちがう教室に思えます。
毎日ここで授業を受けたり、休み時間を友達と過ごしています。
今年から福島に戻るので、またこっちに帰ってきたいです。

この写真は、僕がほぼ毎日部活で使っているグランドです。
僕は野球部に所属しています。土・日曜日はここで試合をします。
福島に行っても野球を続けるかどうかはわかりませんが
ここでの野球の思い出を大事にしたいです。

この写真は、学校のランチルームです。
佐織中学校では全校生徒がここで給食を食べます。
僕はあまり給食は好きではありませんがセンターで作った冷たい給食を食べるよりは
幸せだと思います。
丹治基規 福島支局 13才
3/11 キッズ フォト ジャーナルは、2014年3月11日から始まる週間「写真手帳」は絶賛発売中です。
岩手、宮城、福島の各支局のメンバーたちが撮影し綴った写真と文章とともに2015年3月11日までお使い頂けます。
詳しくはこちらから。
2014年
7月
20日
日
3/11 キッズ フォト ジャーナル各県記者のウェブベルマーク主催イベント参加!
キッズ フォト ジャーナルは、東北の被災校を継続的に支援できる仕組みとして昨年9月にスタートした「ウェブベルマーク」(一般社団法人ウェブベルマーク協会)さんと協力し、東北の現状を少しでも多くの方に伝えるべく、「ウェブベルマーク」のホームページにKPJキッズ記者の写真記事を掲載しています。
http://www.webbellmark.jp/feature/Kids'PhotoJournal
この度、ウェブベルマーク協会が被災地の現状を共有する目的のイベントが、7月31日(木)に東京で開催されることになりました。震災の記憶が風化する中、子ども達のふるさとの現状をひろめるため、このイベントで、岩手、福島、宮城各県のKPJキッズ記者が上京して現地報告をすることになりました!
みなさまには各県代表をご紹介したいと思います。
宮城県を代表して太田あま音(あまね)さん(11歳)、玄周くん(9歳)二人はお姉さんのあま音さんが記者としておもに記事を、弟の玄周くんがおもに写真を担当している、写真記者コンビです。
太田 あま音(おおたあまね)/ 11歳
私たちの住む筆甫は福島県と隣り合う山里です。震災直後は放射能が降り、外で遊べなくなりました。除染をしたり、時間がたって、今は外で遊べます。これからも鳥の鳴き声や気持ちよい風が毎日流れてくる大好きなひっぽで元気に過ごしたいです。
あま音さんの最新の記事はこちらからご覧いただけます。
http://www.kidsphotojournal.org/2014/07/02/%E7%AD%86%E7%94%AB%E6%94%AF%E5%B1%80%E4%BE%BF%E3%82%8A-vol-1-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E3%81%AE%E7%94%B0%E3%82%93%E3%81%BC/
太田 玄周(おおたげんしゅう)/ 9歳
ぼくの住んでいる筆甫は自然がいっぱいで、動物もたくさんいます。ぼくは、バードウォッチングが好きなので、これまでいろんな種類の鳥を見てきました。そんな筆甫の自然の写真が撮りたいです。全員で16 人のぼくの学校ではみんな仲良しです。
玄周君の最新の記事はこちらよりご覧いただけます。
二人はウエブベルマークさんのアサイメントでも記事を寄稿していますよ。





3/11 キッズ フォト ジャーナルは、2014年3月11日から始まる週間「写真手帳」は絶賛発売中です。
岩手、宮城、福島の各支局のメンバーたちが撮影し綴った写真と文章とともに2015年3月11日までお使い頂けます。
詳しくはこちらから。
2014年
7月
19日
土
3/11 キッズ フォト ジャーナル各県記者のウェブベルマーク主催イベント参加!
キッズ フォト ジャーナルは、東北の被災校を継続的に支援できる仕組みとして昨年9月にスタートした「ウェブベルマーク」(一般社団法人ウェブベルマーク協会)さんと協力し、東北の現状を少しでも多くの方に伝えるべく、「ウェブベルマーク」のホームページにKPJキッズ記者の写真記事を掲載しています。
http://www.webbellmark.jp/feature/Kids'PhotoJournal
この度、ウェブベルマーク協会が被災地の現状を共有する目的のイベントが、7月31日(木)に東京で開催されることになりました。震災の記憶が風化する中、子ども達のふるさとの現状をひろめるため、このイベントで、岩手、福島、宮城各県のKPJキッズ記者が上京して現地報告をすることになりました!
みなさまには各県代表をご紹介したいと思います。
岩手県を代表して佐可野瞬大 くん(13歳)
津波が校庭まできた中学校で僕は今、遊んでいる。この当たり前がすごく幸せだと震災から学んだ。宮古地区の被災・復興状況を写真として残し、自然災害のこわさ、災害によって生まれた絆を日本中、世界中の人に発信していきたいと思う。



3/
岩手、宮城、福島の各支局のメンバーたちが撮影し綴った
詳しくはこちらから。
http://www.kidsphotojournal.org/purchase/
2014年
7月
03日
木
筆甫支局便り Vol.2 〜みよとづわ(夫婦岩)登山道〜
宮城県筆甫支局の太田玄周くんからセルフポートレイトとレポートが届いています!
今回は自宅裏の自然公園登山道について、写真を撮ってきてくれました!

みよとづわ(夫婦岩)登山道

これは宮城県丸森町筆甫にある県立自然公園夫婦岩登山道です。ぼくの家のうらにあります。ぼくが鳥を見に行く場所です。長いかいだんを登って、おねに出ると風が強くて寒くなります。そこからしゃ面の下に1mほど下りると風がぜんぜんありません。それにあたたかくて土がふかふかしています。さんしょの木がいっぱい生えていました。5月10日に撮影しました。
※筆甫のお年寄りは、夫婦岩のことをを「みよとづわ」と発音するそうです。
太田玄周 筆甫支局 9才
2014年
7月
02日
水
筆甫支局便り Vol.1 〜朝日の田んぼ〜

宮城県、筆甫支局の太田あま音さんがセルフポートレイトに挑戦!
さらに、自宅の稲のレポートを送ってくれました!
朝日の田んぼ

これは宮城県丸森町筆甫にある私のうちの田んぼです。朝日が田んぼにあたっています。5月に苗を植えてから一か月たち、苗は大きくなってきました。うちは、すべて手で植えています。大変ですが、家族みんなでやります。収穫までは、田の草取りも手伝うのでがんばりたいです。秋、稲刈りが楽しみです。6月26日に撮影しました。
太田あま音 筆甫支局 11才
2014年
6月
23日
月
気仙沼大島の椿マラソン
気仙沼支局の佐藤翔太君より、震災から4年目を迎えたふるさとで開催された椿マラソンの様子が届きました。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局



4月20日に気仙沼・大島で、椿マラソンが行われました。
1700人以上の選手が参加し、20キロ、10キロ、5キロ、3キロと種目に分かれて走りました。
大島は上り下りが激しい地域で少しでも走ると息が上がってしまいます。
そのような大会で多くの人達が競い合いました。
椿マラソンで多くの人が気仙沼、大島に来ました。
復興支援で来た人もたくさんいました。
復興が進んでいない現状を知ったかもしれませんが、失われていないものもあるということが分かったことだと思います。
佐藤翔太 気仙沼支局 17才
2014年
6月
12日
木
4年目の盛土
吉里吉里支局の小川留以ちゃんが
震災から4年目の春を迎えた吉里吉里の様子を届けてくれました。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

震災から4年目ようやく盛土をするようです。盛土をするために、家の基礎を壊しています。

この場所に家があったことがなかなか思い出せませんが、町がさみしいので、早く家ができればいいなぁと思いました。
小川留以 吉里吉里支局 11才
2014年
6月
10日
火
参加してきました!! 3/11 キッズフォトジャーナル @TAKATA-FESTA in 熱海
6月8日(日)Takata-Festa in 熱海 2014 にキッズフォトジャーナルも参加させて頂きました。展示作品は、陸前高田支局長の石川愛美ちゃんによるキュレーションです。当日はお天気に恵まれ、大勢の方がいらして下さいました。3月に静岡グランシップでの写真展で本を購入して下さったという元保育士さん、英語版の被災地のガイドブックを作ろうと活動されている方、ボランティアで何度も被災地へ行っている造園業さん、ボランティアで東北へ行かれた際にキッズフォトジャーナル陸前高田支局長の石川愛美ちゃんと会っていたという方。(彼は、写真作品の名前を見て「鳥肌がたった!」と驚いてました。)
などなど、多くの方が被災地のことを忘れずに、自分なりにできることをやっているということを教えて下さいました。
とても素晴らしい時間を共有させて頂きました。
今回、このTAKATA-FESTA in 熱海にお声がけをしてくださった、陸前高田の隊長 清水 弥さんはじめ、スタッフの皆様ありがとうございました。最後の挨拶で清水さんがおっしゃっていた言葉が胸に残っています。
「このイベントをしたことで、陸前高田と同じように海に近いこの熱海の皆様が災害時に、一人でも多くの命が助かってくれたらと願っています。」http://www.takatafesta.com/takata-festa-2014/
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局





2014年
6月
08日
日
3年ぶりの福島
弟の那月君とともに避難先の愛知から福島へ帰ってきた福島支局の丹治基規君。
しばらく離れていた故郷の風景を写真におさめて届けてきてくれました。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

この写真は4月10日に福島の花見山で同級生の藤倉愛樹君(12)=左=と佐藤貫太君(12)=右=と
一緒に撮った写真です。
3年ぶりに福島の友達と遊んで福島での生活が再スタートした感じがしました。
桜がきれいだったのでみんなで撮りました。

この写真は4月10日に福島の花見山から撮った福島市の写真です。
これから福島で楽しい生活をおくりたいと思いました。
山から見ると自分の街はけっこう広いなと思いました。
丹治基規 福島支局 13才
2014年
6月
04日
水
3/11キッズフォトジャーナル@TAKATA-FESTA in 熱海
2014年6月7日(土)、8日(日)の二日間,静岡県熱海市にて開催される
陸前高田復興支援TAKATA-FESTA(http://www.takatafesta.com/)に
キッズフォトジャーナルが出展することになりました。(キッズフォトジャーナルの参加は8日のみです)
キッズフォトジャーナル発足時から参加、今年から陸前高田支局長として着任した石川愛美ちゃんが支局の仲間の写真をキュレーションした写真パネル展示、また週間写真手帳の販売などもあります。是非、みなさまご参加下さい。
FBページのイベントページも是非お誘い合わせにご利用下さい。
https://www.facebook.com/events/479767332156905/
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局








2014年
6月
01日
日
ずっといっしょに
福島支局の丹治那月君より避難先の愛知から3年ぶりにもどってきた福島への思いが写真とともに届きました。
是非、ご覧ください。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

この写真は、今、ぼくが通っている渡利小学校です。
一年生のころいらいなのでとても、なつかしくかんじました。
ぼくは、しんさいがおきてから、福島から愛知に3年間くらいお母さんとお兄ちゃんと三人でひなんしました。
じこがおきて、放射能が出たけどお母さんのじっかが愛知にあったので、そこへひなんしました。
友達はみんなぼくのことをおぼえていてくれたのでとてもうれしかったです。
校庭には、モニタリングポストがつけられていました。
他の、学校にもモニタリングポストがあったのでそれだけ放射能がいろんな所に積もっていることが分かりました。
放射能は、少しでもすくなくなったらいいなと思います。
最近は、よくお父さんと二人で渡利小学校にいって野球をやっています。
放射能は、いつまでもあるけど、ずっと家族といっしょにいたいです。
2014 3/11 キッズフォトジャーナルアサイメント
丹治那月 福島支局 10才
2014年
5月
23日
金
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント、釜石支局より!
キッズ記者たちから3月11日に撮影した写真が届き始め
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故から4年目を迎
昨年のアサイメントは
https://www.facebook.com/
もご覧下さい。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

2月下旬、僕が震災前住んでいた箱崎に今も住んでいる祖父に今の箱崎町について話を聞いた。
震災から約3年たつ今(2月下旬)でも人も、建物も震災直後とほとんど変わっていないという。
被災した地元から離れたところに住んでいる私からみてもそう思う。
地元に戻るたび復興の難しさを実感させられるのだ。
また、祖父が言うには復興に関する計画があるらしいのだが、それについても実行が難しいらしく、
手がついていない状況にあるという。計画を実行に移すにもさまざまな問題があるのだと思う。
そうなると地元に家を建てて戻りたいという人がいても、どこに工事が入るのか分からないため
家を建てる場所に困ってしまう人が出るだろうと聞いた。
震災から3年たってもまだこのように問題が残っており、これから先も問題解決には多くの時間がかかるだろう。
しかし、周りを見ていて変化があるのも事実だ。いつか震災前のような町に戻ることを願っている。
2014 3/11 キッズフォトジャーナルアサイメント
岡道 一平 釜石支局 17才
2014年
5月
19日
月
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント、気仙沼支局より!
キッズ記者たちから3月11日に撮影した写真が届き始め
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故から4年目を迎
昨年のアサイメントは
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3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

3月11日、気仙沼では希望・鎮魂・感謝を表した三本の光を空に向かって放ちました。
去年も震災の日に光を放って亡くなった人を弔いました。
去年より変わったことは鹿折にあった共徳丸がなくなりかさ上げが進んできました。
板チョコのようにも見えるし、古墳のようにも見える盛り土が増えて、
復興が少しずつ進んでいるのが目で見て分かるようになってきました。
それと同時に震災が風化しているのも目に見えてきました。
震災があったことを後世に伝えるため、大切な光だと思いました。
2014 3/11 キッズフォトジャーナルアサイメント
佐藤 翔太 気仙沼支局 17才
2014年
5月
12日
月
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント、気仙沼支局より!
キッズ記者たちから3月11日に撮影した写真が届き始め
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故から4年目を迎
昨年のアサイメントは
https://www.facebook.com/
もご覧下さい。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

3月11日、気仙沼では希望・鎮魂・感謝を表した三本の光を空に向かって放ちました。
去年も震災の日に光を放って亡くなった人を弔いました。
去年より変わったことは鹿折にあった共徳丸がなくなりかさ上げが進んできました。
板チョコのようにも見えるし、古墳のようにも見える盛り土が増えて、
復興が少しずつ進んでいるのが目で見て分かるようになってきました。
それと同時に震災が風化しているのも目に見えてきました。
震災があったことを後世に伝えるため、大切な光だと思いました。
2014 3/11 キッズフォトジャーナルアサイメント
佐藤 翔太 気仙沼支局 17才
2014年
4月
21日
月
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント、陸前高田支局より!
キッズ記者たちから3月11日に撮影した写真が届き始め
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故から4年目を迎
昨年のアサイメントは
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3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

【会場を静かに照らすキャンドル】
小さなろうそくの火。人々の心を癒すキャンドルアートも撮りました。これは、「輝」の1部分です。とてもきれいでした。
たくさんの人々がきて、寒い中もとても温かくなったと思います。いい3月11日でした。
2014 3/11 キッズフォトジャーナルアサイメント
陸前高田支局 石川愛美 13歳
2014年
4月
20日
日
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント、陸前高田支局より!
キッズ記者たちから3月11日に撮影した写真が届き始め
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故から4年目を迎
昨年のアサイメントは
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3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

【キャンドルアートで書かれた「輝」】
この「輝」という字は、「ひかり」と読むそうです。なぜ「ひかり」と読んだのかそれには深い理由がありました。
実行委員の方々がかさあげで駅前通りが無くなる前に「もう一度駅前通りをみたい!」、「駅前通りをもう一度再生させたい!」という意思でイベントが計画されたそうです。本当は駅をライトアップしたかったそうでしたが、許可がおりず、実現できなかったそうです。なので、今回のようなイルミネーションやキャンドルアートとなったそうです。
なぜ、「輝」を「ひかり」と読んだのかは、実行委員の方々が亡くなった同級生の1文字をとって「輝」を「ひかり」と読んだそうです。
私は、その話を聞いてとても感動しました。
2014 3/11 キッズフォトジャーナルアサイメント
陸前高田支局 石川愛美 13歳
2014年
4月
19日
土
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント、陸前高田支局より!
キッズ記者たちから3月11日に撮影した写真が届き始め
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故から4年目を迎
昨年のアサイメントは
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3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

【駅前通りを光るイルミネーション】
3月8日から3月11日に行われた「高田に輝の花を」というイベントの写真を撮ってきました。
とても寒い中、多くの人が見に来ていました。実行委員の方々の復興への思いと駅前通りへの感謝の気持ちがよく表現されていました。
2014 3/11 キッズフォトジャーナルアサイメント
陸前高田支局 石川愛美 13歳
2014年
4月
18日
金
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント、閖上支局より!
キッズ記者たちから3月11日に撮影した写真が届き始め
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故から4年目を迎
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今日は、毎年行っているおじさん、おばさんの家におはかまいりに行きました。おばちゃんは、プーさんとペコちゃんが大すきだったので、画用紙にメッセージを書き、ふうせんにも、メッセージを書いてきました。前はプーさんでうしろはペコちゃんにして、ふうせんも、たくさんかざってきました。ふうせんが一つだけとんでいったけど、私ひろってきました。風もふいていて、さむかったです。
2014 3/11 キッズフォトジャーナルアサイメント
玉田真菜 閖上支局 9才
2014年
4月
17日
木
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント、閖上支局より!
キッズ記者たちから3月11日に撮影した写真が届き始め
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故から4年目を迎
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魚やさんをやっていた、おじさんのところに行きました。おじさんは、おさけをのんでみんなわらわせた思いで!!だから、ビールとたばこと、せんこうをあげてきました。わたしたちは、かみふぶきをプレゼントとして、れいちゃんと2人で、まいてきました。おうちがわかるように、まいてきました。
※「DCS03377からDCS03385まで」と写真の指定をしてくれました。
2014 3/11 キッズフォトジャーナルアサイメント
玉田真菜 閖上支局 9才
2014年
4月
16日
水
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント、閖上支局より!
キッズ記者たちから3月11日に撮影した写真が届き始め
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故から4年目を迎
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3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

私は、避難所生活をしているときにきてくれた鏡味仙次さんと太田さんと愛知県から来てくれたシンガーソングライターのしがせいこさんが来てくれました。名取で曲芸師の仙次さんは、私にやる場所がないか手紙や電話がきました。そこで、おじいちゃんとおばあちゃんが住んでいる愛島東部仮設住宅でやってもらいました。
歌を歌ってくれたしがせいこさんや太田さんと曲芸師をひろうしてくれた鏡味仙次さん。最後にみんなで写真を撮りました。
左から仮設の会長さん、お母さん、しがせいこさん、仙次さん、マネージャーさん、
(下)真菜、太田さん
楽しい一日でした。本当に協力してくれたみなさん、ありがとうございました。
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント
閖上支局 玉田礼菜 12歳
2014年
4月
15日
火
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント、閖上支局より!
キッズ記者たちから3月11日に撮影した写真が届き始め
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故から4年目を迎
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おばさんの家で拝んで(まだ、閖上は何も変わってないよ
でも、世界の人々に伝えたい事は、まだたくさんあります
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント
閖上支局 玉田礼菜 12歳
2014年
4月
14日
月
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント、赤前支局より!
キッズ記者たちから3月11日に撮影した写真が届き始め
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故から4年目を迎
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三年前まで、ガレキがたくさんあった運動公園。今はガレキもすっかりなくなりただの空き地になってしまいました。しかし運動公園と野球場は再び再建築されることに決まったそうです。
完成するのはまだ先かもしれませんが、運動公園が完成することで、大会など多くの人が来場し、赤前の活せい化につながります。そして運動公園が完成することで赤前に元気と活気が戻ってくることを期待しています。
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント
赤前支局 佐可野瞬大 13歳
2014年
4月
13日
日
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント、赤前支局より!
キッズ記者たちから3月11日に撮影した写真が届き始め
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故から4年目を迎
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3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局

三年前まで、ガレキがたくさんあった運動公園。今はガレキもすっかりなくなりただの空き地になってしまいました。しかし運動公園と野球場は再び再建築されることに決まったそうです。
完成するのはまだ先かもしれませんが、運動公園が完成することで、大会など多くの人が来場し、赤前の活せい化につながります。そして運動公園が完成することで赤前に元気と活気が戻ってくることを期待しています。
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント
赤前支局 佐可野瞬大 13歳
2014年
4月
12日
土
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント、吉里吉里支局より!
キッズ記者たちから3月11日に撮影した写真が届き始め
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故から4年目を迎
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今日は、吉里吉里の海岸に行った時、たくさんの大きな石がありました。海の中にあったそうです。びっくりしました。だんだん海の中は、きれいになってきてるのかなぁと思いました。
吉里吉里支局 小川留以 11歳
2014年
4月
11日
金
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント、吉里吉里支局より!
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今日は、ひいおばあちゃんのお墓に妹たちも手をあわせました。震災の次の月に生まれた妹も3才になります。3年はあっというまです。
吉里吉里支局 小川留以 11歳
2014年
4月
10日
木
2014 3/11キッズフォトジャーナルアサイメント、吉里吉里支局より!
キッズ記者たちから3月11日に撮影した写真が届き始め
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今日は、20人のおしょうさんが吉里吉里にきてくれました。吉里吉里じゅうを歩いて、ほうようをしました。
吉里吉里支局 小川留以 11歳