福島県の飯館村支局の菅野大輝君(18)は、5年が過ぎても福島第1原発事故の影響で人が暮らせなくなった故郷のことをつづってくれました。
菅野君は高校を卒業し、警察学校に入校するため、KPJの活動に一区切りをつけます。
3/11 キッズ フォト ジャーナル事務局


震災から5年目を迎えて
菅野大輝
2016年3月11日の東日本大震災から5年目を迎えました。
節目の年と言われますが除染作業が終わらず私たちにとっては、節目の年は関係ありません。
飯舘村、除染作業が終われば、来年の春に帰村宣言をして避難解除する見込みです。
当時中学一年生でした。昨年高校三年生となり、今年の春に卒業しました。
除染作業も少しずつ進み、現在は村内のあちこちにフレキシブルコンテナバック(フレコンバック)が山積みとなっています。
今年一年で除染作業を終わらせ来年の春に避難を解除する見込みです。
除染が終わっていないのに、一年以内にフレコンバックを片付けることができるのでしょうか?
またはフレコンバックに入った除染廃棄物と共に生活をしていかなくてはならないのでしょうか?
また震災当時山の中で生活していた動物たちが、里に下りてきて、人間が植えていた花や野菜を食べて生活しているのです。
人間が近づいても逃げないのです。
聞いた話ですが、「イノシシが主(あるじ)で私たちがお客さんだ」と言っていました。
この5年間でかなり環境が変わってしまったと思っています。
これから地元へ帰るとなるとまだまだたくさんの課題が残っています。





飯舘村支局 菅野大輝 18才
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